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いだてん11話三島弥彦が棄権!あらすじとネタバレ!3月17日感想

      2019/03/17

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2019年3月17日(日)

あらすじ

1960年、東京オリンピックを控え田畑政治(たばたまさじ)は、ストックホルムオリンピックの記録映像に見入る。

1912年7月6日のストックホルム大会開会式。

参加国は28か国、3000人の代表が集まりました。

アメリカやイギリスの代表は100人を超えますが、日本は治五郎先生と大森先生を加えても4人にしかならないので、京都帝国大学からベルリンに留学中の田島錦治とダニエルも行進に参加し、四三さんと弥彦は日本初のオリンピック選手として晴れやかに入場。

短距離走に挑む弥彦はレース前に極度の緊張状態に陥るが、監督の大森兵蔵は、「一緒に走る選手のことはライバルではなく、タイムという同じ敵に立ち向かう同志と思いたまえ。」と、その言葉によって本来の自分を取り戻し、一世一代の大勝負に臨みます。

参考:Yahoo!テレビ

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感想

NIPPON!

良く言えば、古き良き日本人なんでしょうが、それにしても四三さん、頑固ですね。

確かに、兄が命と引き換えと言ってもいい田畑を売ってまでもお金を工面したり、学校の仲間たちの善意でお金を集めてくれたりと、四三さんの肩には、みんなの期待が集まっているので、その期待に応えるためにも、「JAPAN」などと安易に、言うがままにされたくないんです。

一途で純真な四三さんだからこそ、「日本」の代表として出られないのなら、出たくないと言い切ってしまえるなんて、潔いというか、気持ちがとにかく真っすぐなんですね。

大森先生は、世界の人にわかってもらうためにも「JAPAN」と使わないと、わからないではないかと言われますが、それも最もな話だと思います。

治五郎先生は、四三さんの純真さに理解してローマ字で「NIPPON」としたことで、なんとか四三さん納得してくれて良かった。

いまでは、さほど不自然ではありませんが、当時、ローマ字で「NIPPON」とすることは、おそらく画期的だったのかもしれません。

敵はタイムだ

日本にいたときは、負け知らずだった弥彦ですが、西洋人相手に、どれほど劣っているのかを思い知らされ、自信を無くしますが、そんな弥彦に、大森先生は、「一緒に走る選手のことはライバルではなく、タイムという同じ敵に立ち向かう同志と思いたまえ。」

弥彦としては、それを一番、落ち込んでいた時に言って欲しかったんですよね。

「もっと早く言ってくれたら、もっと楽になったと思う。」

とは言え、弥彦は、素直に大森先生の言葉を受け入れます。

こういうところは、育ちの良さが出るんですね。

弥彦にとっては、かなり苦い経験になってしまいましたが、持ち前の前向きな性格で、明るく乗り越えようとして、それが好感持てます。

最初は、鼻持ちならないお金持ちのお坊ちゃんなのかと思いましたけれど、なんせお母さんの三島和歌子が、強烈ですから、簡単に弱音など吐けません。

そこいらのボンボンとは、違うんです。

結果は、無残と言ってはいけないけれど、どう頑張っても太刀打ちできる状況にありません。

弥彦に取ってみたら、今回のオリンピック参加は、プライドをズタズタにされるだけのものでしかなかっと思います。

それでも、四三さんとお互いをねぎらい、頑張る姿は、かなり好感を持ちました。

生田斗真さんの見る目が、あきらかに変わりました。

四三さんと二人で、種目は違いますが、オリンピックという土俵に立て、良い戦友になれたと思います。

二人がいたからこそ、日本人初のオリンピックに参加できたと思います。

コラム

河野一郎議員を起点に国内でも返上の声が上がりだした

陸軍による馬術の準備中止決定を受けて、衆議院議員であった河野一郎は、意見を述べた。河野は後に1964年第18回オリンピック東京大会開催時のオリンピック担当国務相となるのであるが、1940年大会に関しては返上論を説いていた。1937年9月6日の帝国議会衆議院予算委員会の中では、首相近衛文麿へ詰め寄るシーンも見られた。

理由は、言うまでもなく国内情勢にあった。日中関係が悪化する中で、のんきにオリンピックへ向けて練習している青年団はいない。政府も腹をくくるべきではないのかというものだった。これに対し、近衛は開催について関係者と協議の上決する、と返答した。

この夜、内閣書記長の風見章は東京オリンピックの開催が困難であることを報道関係者に告げた。これを受け、翌朝の新聞には「東京大会中止」記事が掲載されてしまう。風見は誤報であると述べたのだが、真意は中止論へと傾きつつあるのであった。

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【筆者のコメント】
日本国内でも、オリンピックの返上論が盛り上がっていくようになります。戦火の中では練習もできず、情勢が不安定なため、開催自体も危ぶまれていきました。

開催か?辞退か?国内で揺れ動いた意見対立
盧溝橋事件を機に激化していった日中関係は、ますます悪化していった。国内では、戦争が続いてでも大会を開くべきか、それとも辞退すべきか、意見の対立も激化していった。政府側もこの対立について真剣にとらえるようになる。

賛成派は、大会の放棄は国際信義にもとり、日本支持国からの信頼が揺らいでしまうこと、事変であっても開催すべきだというものだった。反対派は、戦争に力を入れるべきであり、大会と同じく開催される万国博覧会とともに中止すべきだというものだった。

賛成派の主張するように、たとえ事変下であろうとも大会を結構すべきであり、これにより国力を示すことができる。逆に、反対派の早期に辞退し、他の国へ開催権を譲るべきだという主張も国際的な信頼へとつながるものだった。

【筆者のコメント】
賛成派、反対派ともに主張する内容は、どれも国際的な問題にかかわる内容でした。日本という国家の信頼にかかわる問題でもあり、その威信をかけての決断が迫られていました。

岸の意を継いで、後任IOC委員となった副島道正

1933年のウィーンIOC総会の帰路、岸清一IOC委員が亡くなってしまい、その後任選出が必要となった。そこで1934年5月に行われたアテネ総会では、日本のIOC委員の後任選出も行われた。その人物が、岸とも友人関係にあった伯爵の副島道正である。

副島は、大日本バスケットボール協会の会長職についており、スポーツ界にも縁が深かった。生まれは明治時代に活躍した政治家の副島種臣を父に持ち、学生時代は渡米、ケンブリッジ大学を卒要する経歴があった。また、自身が華族であることから、貴族の多いIOC委員たちとの相性も良かったのである。

この総会では、嘉納治五郎が、東京市の作成した写真集である「スポーツセンター・オブ・リ・ジ・オリエント」を各IOC委員へ配った。内容は東京都の文化施設を宣伝するものだったが、IOC委員たちにとって興味深い仕様になっていた。

【筆者のコメント】
岸の後を継ぐべくIOC委員に就任したのは副島直正でした。華族出身の副島氏は海外からの評判も良く、東京招致にうってつけの存在だったといえますね。

岸清一、IOC総会帰路に突然の死去

日本人IOC委員として活動、また、大日本体育協会の第2代会長に就任していた岸は、当初東京大会の招致活動に消極的な意見を行っていた。スポーツ成績的にも国際交流的にも経験が乏しいため、立候補しても当選の可能性が低いと感じていたからだ。

しかし、いざ招致活動を始めてみると、その活動の甲斐あって世界各国のIOC委員は東京招致を前向きにとらえるようになった。これに伴い、岸も積極的に招致活動を進めるようになったのだ。ところが、1933年にウィーンで開催されたIOC総会後に悲劇が起きる。

岸の死だ。IOC総会からの帰路、10月29日岸は日本へと帰還中の船の中で喘息の発作を越してしまった。それがきっかけで命を落とすこととなった。体協会長の座を引き継いだ下村宏は故人の霊を慰めるため、そしてスポーツ界の使命を果たすため東京招致を実現しようと意気込みを新たにしたのだった。

【筆者のコメント】
当初オリンピックの招致に反対だった岸も、活動を進めるうちに熱心に招致活動を行うようになりました。その意思はスポーツ界に引き継がれて行きました。

機転を利かせた杉村陽太郎、ムッソリーニとの対談を持ちかける

オスロ総会を前にイタリア大使として勤務していた杉村陽太郎はイタリアの主将ムッソリーニとの会見を行った。当初、イタリアと日本との交流についての話題が進められたが、第12回オリンピック開催地への話題と切り替わった。

その中で、杉村はIOC委員の立場としてムッソリーニに語りかけた。「日本はスポーツ界において益々発展をしている。また、オリンピックは世界的なスポーツの祭典であるものの、ヨーロッパでの開催が多いのではないか。オスロ総会では東京招致の説得にあたりたい。」
というものだった。

これに対して、ムッソリーニは自らがローマ招致を決定したわけではない旨を返したのだ。期待を感じた杉村はムッソリーニに対し東京招致を考慮して欲しいことを述べたところ、ムッソリーニも考えてみる態度を示したのだった。

【筆者のコメント】
これまでローマの開催は決定的だと思われてきましたが、実は首相たるムッソリーニの本意ではなかったようです。杉村氏の勇気ある対話で、東京招致の可能性が再び日の目を帯びました。

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