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岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!

   

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岡本太郎さんというと、なんと言っても太陽の塔が有名ですが、私が子供のころ、お土産で太陽の塔の貯金箱をもらったことを昨日のことのように覚えています。

「美の巨人たち」(2016/06/11放送)より、まとめました。

大阪万博

岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!
大阪万国博覧会は、1970年3月14日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会です。

総入場者数は、6,421万8,770人で、外国人は約170万人で、日本人の2人に1人は行ったことになります。
どれくらいなのかわかりませんが、リピーターも多かったのではと思います。

岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?

太陽の塔には、顔が3つあります。

最長部には、黄金の顔。
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顔はありますが、頭はありません。

角のように飛び出しているのは、避雷針です。

丸くくりぬかれた穴には、照明が設置されていて、万博の開催中は、サーチライトのような光線が放たれていました。
岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!
怪獣のようにも、岬に立つ灯台のようにも見えます。

太陽の塔の工事が始まったのは、1968年11月で、竣工は1970年2月です。

前代未聞の塔の建設には、大林組、竹中工務店、藤田組が手を組み、のべ2万4000人の工事関係者が携わりました。

胴体は、鉄骨鉄筋のコンクリート製。

最長部の、黄金の顔には、鉄板に特殊な金色のフィルムが貼られています。

直径12mのお腹部分の、太陽の顔には軽量かつ、耐久性のある強化プラスチックを採用しています。

太陽の顔

岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!
なんと言っても目を引くのが、おなかの部分にある太陽の顔です。

2つの顔が合わさって、一つの顔を形成する奇妙な造形です。

その横を走る、赤い稲妻のような文様。
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イタリア製のモザイクタイルが1枚、1枚貼られています。

黒い太陽

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3つ目の顔は、背中にある、黒い太陽です。

顔の黒い部分は、信楽焼のタイル。
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黒っぽく見えますが、緑色のコロナは、ガラスで作られたモザイクです。
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鉄骨鉄筋コンクリート造りで、塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m

これは、東大寺の大仏約15mや、自由の女神約46mよりも、はるかに高い作りです。

肩から首にかけての絶妙な曲線、腕を広げた姿は、命を宿しているような独特なフォルムです。

万国博覧会の会場では、異物のような存在とされ、美術界からはまったく評価されませんでした。

でも、それが岡本太郎の狙いだったのです。

塔の内部には、1本の大木があります。

岡本太郎の太陽の塔の意味は?

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岡本太郎さんは、フランスで制作されたドキュメンタリーの中で、
「私は、今まで存在しなかった全く新しいものを作りたかったのです。西予的でもない、日本の伝統でもない。全くオリジナルなものを創造したのです。」

岡本太郎の名言集から、
「外見的なことばかりで、鏡を見ないで、自分と対決するために鏡を見る。これが本当の鏡の見方だ。」

「べらぼーなものをつくる」

「べらぼー」って、「べらぼう」と言いますが、「考えられないこと」を意味します。

べらぼうめ。べらんめえ。などと言います。

江戸時代に、見世物小屋で評判になった奇人に由来しますが、東京の下町言葉として使われています。

「べらぼー」こそが、岡本太郎が太陽の塔を作った覚悟と意気込みです。

1967年の初夏、東京都港区青山に万博の事務総長が訪れると、テーマ館の展示プロデューサーの就任を要請しに来ます。

万博のテーマは、人類の進歩と調和ですが、岡本太郎の仕事は、それを目に見える形に表現することでした。

ところが、「人類は、進歩なんかしていない。

縄文土器のすごさを見ろ。

ラスコー洞窟の壁画だって、ツタンカーメンだって、今の人間にあんな物作れるか。」

「本当の調和というのは、お互いに、意見をぶっつけ、フェアにぶつかりあうこと。」

万博のテーマを真向から否定します。

テーマ館の位置は、メインゲートから続く、シンボルゾーンの中に、予定されていました。

施設を手掛けたのは、日本を代表する建築家の丹下健三です。

全長350m、幅150mの世界一の大きさを誇る”大屋根”で、広大な空間を覆うという大胆な計画を進めていました。
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テーマ館は、その内部に納められる予定でした。
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岡本太郎は、プロデュースを引き受ける前から、イメージがすでに固まっていました。

つまり、誰も頼んではいないのです。

岡本太郎さんの中で、予見していたのかもしれませんね。

優雅におさまっている大屋根の平面に、べらぼーなものを対決させる。

岡本太郎さんにとって対決こそが、芸術の流儀でした。
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万博全体にとっては、「太陽の塔」は、あった方が良いと、丹下健三は理解した。

縄文土器と土偶

岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!
群馬大学教育学部准教授春原史寛さんによると、
縄文人の人々が持っていた精神性を造形化した結果が、太陽の塔なのでは。

そこには、土器も土偶も含まれています。

岡本太郎は、当時、美術品として認められていなかった縄文時代の土器や土偶に、ダイナミックな美を見出しました。

見る者の理解をこばむ純粋さと独創性、その精神をかたちにしたのが「太陽の塔」なのです。

顔があるのに、頭がないのは、土偶のかたちを踏襲したのでしょう。
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3つの顔には、どんな意味が込められているのか?

お腹の部分の「太陽の顔」と、背中の部分の「黒い太陽」は、現代人を象徴していると言います。

「太陽の顔」は、2つの顔が合わさったような形ですが、現代の人が抱える「矛盾」「二重性」、そういったものを象徴しているのでは。

「黒い太陽」は、いろんな矛盾に苛まれる、諦めてしまう「虚無ニヒリズム」

「黄金の顔」は、祭りの儀式に使われる仮面を表しています。

岡本太郎は、あらゆる民族について学んでいたので、儀式や習俗に精通していました。

民族の儀式では、「仮面」が、重要な役割を果たしています。

仮面をつけることで、自分で自分が見えなくなり、自分に対する周囲の反応が変わると。

自分以上のものになることができます。

現代人(太陽の顔)が、仮面(黄金の顔)をかぶることで、今の自分を突き破って、何か新しいことができるのでは?

そんなことをメッセージとして伝えたかったのでは?

「矛盾」「虚無」「仮面」と言う3つの顔を使って、人間が本来持つ、本能を呼び覚まそうとしたのです。

岡本太郎が作ったのは、「即人間」であり、「超人間」的なもの。

人型をしながらも70mという巨大な塔になったのかもしれません。

彫刻でも建造物でもない。

あえて言えば「超人間」

ピカソのゲルニカ

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「ピカソは美しい。しかし、けっして、きれいではない。」

ピカソのゲルニカ(1937年)こそ、「太陽の塔」制作の大きなモチベーションとなっていたのです。
ピカソのゲルニカは、ドイツ軍に空爆されたスペインバスク地方の小さな町ゲルニカの惨劇を激しい怒りをこめて、告発した作品です。

1937年のパリ万博で、初めて展示され、現地で目撃した岡本太郎は、大きな衝撃を味わいました。

万博と言う一般大衆が集まる場所で、芸術がどれほどの力を持つかを感じた。

岡本太郎は、おそらく「ゲルニカを超える」と思ったと思います。

ゲルニカのモチーフは、アフリカの原始美術の造形です。

「太陽の塔」のモチーフもまた、縄文時代の土器や土偶です。

ピカソと岡本太郎、2人の天才が図らずも共鳴したのが、「原始的な美」です。
岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!
岡本太郎が表現したかったのは、その形ではありません。

縄文人たちが持っている、のびやかで力に満ち溢れた精神なのです。

それこそが、ピカソを超え、時代を超えて、人々を惹きつける真の芸術なのです。

太陽の塔の中

「太陽の塔」は、パビリオンの一つでもあり、中には高さ50mの「生命の樹」があります。

「生命の樹」は、「太陽の塔」の血流、リンパの流れ、動脈であり、壁の赤いヒダは、「知のヒダ」「脳のヒダ」で、「太陽の塔」には、知性と生物の血流が内臓されていると、岡本太郎は、言います。
岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!
万博会期中には、アメーバから人類まで、292体にも及ぶ、命の進化をたどる、生き物たちの模型が飾られていました。

岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!

エスカレーターで、上昇しながらながめることができました。

右腕の中に設えられたエスカレーターによって、次なる展示室へ行くことができました。

左腕は、非常階段になっています。

万博会期中、地下には展示室がありました。
岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!

原始的な地球の姿を表現した、「根源の世界」そこに、岡本太郎がみずから手掛けた1体のオブジェが飾られています。

岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!

両手をかざし、あきらかに拒絶のポーズをとる「ノン」(1970年)

岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!

進歩こそが、輝かしい未来だという現代に、強烈な「ノー」を、つきつけたのです。
岡本太郎の太陽の塔の制作年はいつ?意味は?大阪万博のシンボル!
つまり太陽の塔は、地球上のあらゆるものに「ノー」をつきつける存在である。

万博が終わり、太陽の塔はこれから何と向き合うのかと聞かれた岡本太郎は、一言「宇宙だ」

すべてのパビリオンが解体された中で、一体なぜ、「太陽の塔」だけが残ったのか?

周りに溶け込まない、周りに「ノー」をつきつける存在、「異物」として存在することこそ芸術そのものの在り方。

岡本太郎の太陽の塔の場所?

千里中央駅から、モノレールでおよそ5分の万博記念公園へ行きます。

大阪府が「太陽の塔」を管理していますが、内部を公開しようと改修の計画を進めています。

まとめ

太陽の塔って、あらためて、今見ても全然古臭くないです。

芸術の持つ力が良くわかるように思います。

一時、岡本太郎さんの哲学的な考えに関心して、何冊か本を読みました。

また、岡本太郎さんの秘書、岡本敏子さんをのちに養女という形ですが、実際は妻として、その二人の在り方に興味を持ち、岡本敏子さんの本も読みましたが、鮮烈な私生活に驚きました。

「芸術は爆発だ!」この岡本太郎さんの言葉は、私の中で消えることはありません。

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