こんにちは。きゃんでぃです。
先日、ドラマ「寺内貫太郎一家」に出演をしていた左とん平さんがお亡くなりになりました。
ちょうど、BSで再放送されていて見ていたので、すごく悲しいです。
それに反してと言って良いのか、小林亜星さんはいまだにお元気です。
と言うか、85歳とは、とても見えないのですけど。
ちょっと気になったのでまとめました。
小林亜星の現在の姿!若いころや嫁の画像!馴れ初めは?
寺内貫太郎一家の役があまりにはまっていたので、想像が全然つきませんが、奥様と出会った頃は、長髪で紫いろの服などを着ていてサイケっぽいスーツ姿だったそうです。
一度見たら忘れられないような雰囲気ですね。
小林亜星さんの奥さん早苗さんは6歳年下で、結婚して43年になります。
もともと早苗さんは女性コーラス「シンガーズスリー」(11PMのシャバダバドゥを歌っていた)のマネージャーをしていました。
最初の奥さんの所からある日家出をして、何も持つものがないから家から何から全部置いてきて、持ってきたのは古いベンツにパンツ一丁で、今の奥様の所に乗り込みました。。。
再婚だったのですね。
今だったら、不倫、略奪とか、色々騒がれそうですけれど、いい時代です。
ちなみに小林亜星さんの息子さんは1961年生まれなので、最初の奥さんとの間にできたお子さんです。
小林亜星の名前?
小林亜星さんは本名ですが、お母さんの塩子さんが築地にあった築地小劇場と言う所で女優をやっていて、そこの劇作家の村山知義さんが息子さんに亜土って名前をつけたのを真似て、亜星にしたそうです。
そのこどもの頃は戦時中だったので、亜星の亜は「アメリカのア」しかも「星条旗」ときて、「スパイの子供だ!」と言われ、いやでいやでしょうがなかったそうです。
小林亜星の肥満!
小林亜星さんと言うと体格が良いですが、「肥満は善であり、美である」と現在はわかりませんが、大日本肥満者連盟を作って会員が500人いたそうです。
寺内貫太郎一家のドラマこ頃は113kgあったそうですが、その後奥様の手料理で現在は90kgとか・・・
ポイントは、炭水化物を比較的摂らない事。お肉やおさかな、納豆などタンパク質はしっかり摂るようにしています。
ドラマの頃は、とにかく久世さんに「もっと太れ」と言われていたそうですが、ちゃぶ台をひっくり返していましたけれど、体が動かなかったそうです。
小林亜星の作曲
そうそう小林亜星さんの本業は作曲家なんです。
これまで8000曲を世に提供してきました。
作曲家は、もともと当時一番と思った、NHKラジオの「ヤン坊ニン坊トン坊」や「ラジオ体操第一」などを手掛けた作曲家の服部正先生を訪ねて行って、最初は兄弟子の作曲のアレンジのお手伝いをしていました。
小林亜星さんの妹さんがレナウンでイラストレーター(川村みづえ)をしていて、レナウンでCMを作る事になり、やってみようかという事になって昭和39年レナウンの「ワンサカ娘」の作詞作曲をしました。
それから仕事が色々入るようになります。
師匠である服部先生に言われたことで印象に残っているのが、「アーティストなんて自分が言う事ではなく人が言う事なんだ。まず職人になりなさい。職人になれない奴が芸術家になれると思うな」
「狼少年ケン」だと「ババンボバンボバンボボンボボン」、「魔法使いサリーちゃん」だと「マハリークマハーリヤ」と、そう言うところから発想が浮かんで曲ができます。
CMソングを作るのは社長に合って、どんな商品か会社の方針など聞かないと作らないんだそうです。
アニメなどは「サリーちゃん」になったつもりで作曲するのだとか、それで寺内貫太郎も石屋のガンコじじいになりきってしまうのだそうです。
寺内貫太郎がハマりすぎて、考えてみれば、それ以降他の演じてないですよね?
まとめ
寺内貫太郎一家での雷親父が、真実っぽく見えたのですが、まさか俳優でなく作曲家だなんて、本当に驚きましたが、実際の小林亜星さんほのぼのとした親しみやすい人で、それも驚きました。
しかも「この木なんの木」やウイスキーの「ダンダンディバ・・」や「ひみつのアッコちゃん」、管理人にとって小林亜星さんの曲で育ったと言っても過言じゃありません!
ちなみにサントリーオールド<人間みな兄弟>の「ダンダンディバ・・」の歌詞は、まったくのでたらめなんだとか!
上智大学の神学の先生に頼んで、歌ってもらったのだそうです。
歌詞は適当にスキャットしてくださいと頼んでできました。
偶然の産物にしては、かっこよすぎます!
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