赤塚不二夫さんと言うと、物心ついた時から「天才バカボン」でおなじみの漫画家さんで、正直、おじさんのイメージしかありません。
赤塚不二夫さんの娘のりえ子さんのエッセイ「バカボンのパパよりバカなパパ」を読むと、知らなかった事が、色々出てきて、思わず引き込まれてしまいました。
そんな赤塚不二夫さんは、結婚を2回していますが、どんな嫁だったのか、ちょっとまとめました。
赤塚不二夫(ドラマ)嫁の登茂子の経歴やプロフィールを調査!
長谷川京子さん演じる赤塚不二夫の最初の嫁、赤塚登茂子(旧姓:稲生)
生年月日:1940年6月
東京出身
両親が別居し、それぞれの家庭を持っていました。
母親と電気配線業を営む継父のもとで育ちます。
高校で演劇部に所属し、首席で卒業、卒業生総代を務めます。
絵を描くのが好きで、高校卒業後、デザイン事務所に入り、雑誌や広告のカットやレタリングを手掛けていました。
ジャズ喫茶で、コーヒーを飲みながらマルクス・エンゲルスを片手にたばこを吸ってかっこつけてみたりしていた頃、徐々に売れ出してきた漫画家が女性のアシスタントを探していると、知り合いの編集者から聞き、アシスタントになったのが1961年20歳の春でした。
ところが、出勤すると赤塚不二夫さんは、寝ているので、トキワ荘の石森さんの部屋で待たせてもらっていたところ、毎朝来るので、石森さんは自分に気があると勘違いしたとか。
アシスタントだったと言っても、別に恋愛結婚ではなく、それほど好きだったわけではないが、一緒になった方が、仕事がやりやすいからなりゆきだったそうです。
赤塚不二夫さんの若いころは、人一倍恥ずかしがり屋で、手もつなげないくらい。
それを登茂子さんは、自分から手をつないだそうです。
そうかと思えば、赤塚不二夫さんは、周りに「オレの彼女だ」「結婚するんだ」と言いふらしていました。
ともかく大ヒットするまでは、結婚に踏み切れず自信がなく、そんな赤塚不二夫さんに対し登茂子さんは、「ひとりで食べれなくても、ふたりなら食べられますよ」と、背中をドンと押します。
1961年10月新宿の東京大飯店で両家の家族が集まり結婚
登茂子さんは、ただのアシスタントと言うワケではなく、人間の心の綾を読んで、笑い飛ばすギャグのセンスを持っていました。
「おそ松くん」も、赤塚不二夫さんが双子の話としたところ、いや、三つ子かなと考えていると、
「いっそ六つ子にしたらどう?」
そんな調子です。
1965年3月11日、新宿・歌舞伎町にあった新宿赤十字病院で娘を出産。
それから半年後、中野区弥生町(当時、向台町)に一軒家を建てます。
昼間からソウル系のダンス音楽がかかり、登茂子さんは鏡の前でゴーゴーの練習をしていました。
そんな登茂子さんを、小野ヤスシさんは、「センスがいい人とは、話をしていても冗談を言っていてもごはんを食べていても、何してても心地が言い。それが登茂子さん」
小野ヤスシさんに褒められるくらいなのに、赤塚不二夫さんの女性関係は止む事がありません。
1973年11月5日赤塚不二夫さんから「別れてくれ」と切り出され離婚します。
赤塚不二夫さんにしたら「朝、お味噌汁が香ってくる家庭に人一倍憧れていた」それが、登茂子さんにはできなかったから。
その後、登茂子さんとりえ子さんは弥生町の家にそのまま住みますが、その家の2軒先の江守さんという日本テレビのプロデューサーでビートルズが来日した時の「武道館ライブ」の総合プロデューサーを務めた人の息子の江守清人さんを「キヨちゃん」と呼んでいました。
引っ越した当時、1965年は、まだ高校生だったのですが、ある日、登茂子さんから「今日からキヨちゃんを”パパ”と呼びなさい」と言われます。
キヨちゃんは登茂子さんより8歳年下。
1988年6月、赤塚不二夫さんの再婚後、登茂子さんも再婚。
2008年7月30日子宮頸がんにより他界。享年68。その3日後の8月2日、肺炎のため赤塚不二夫さん他界。享年72。
赤塚不二夫(ドラマ)嫁の真知子の経歴やプロフィールを調査!
赤塚真知子
生年月日:1949年12月
東京都練馬区出身
普通の家庭できちんと育ったお嬢さん
赤塚不二夫さんと知り合った頃は、写真家の國玉照雄さんのアシスタント兼スタイリストでした。
馴れ初めは、新宿にある「ナジャ」というお店での餃子パーティーでした。
赤塚不二夫さん40歳、真知子さん26歳で、真知子さんは赤塚不二夫さんの好みのタイプだった事もあり、その場でコースターの裏に電話番号を書いて渡します。
真知子さんは、娘のりえ子さんから見ると、実母の登茂子さんと性格が似てさっぱりしているから、二人とも気が合うと、それぞれを紹介する事になり、仲良くなります。
そして、赤塚不二夫さんと真知子さんは1986年12月、登茂子さんの証人で結婚をします。
ところが、赤塚不二夫さんの浮気癖は治りません。
2006年7月12日くも膜下出血で他界。享年56歳
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バカボンのパパよりバカなパパ (幻冬舎文庫) |
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ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘 |
まとめ
大ヒット漫画を数々生み出し、赤塚不二夫さんのような漫画家は、早々出てこないと思います。
沢山の女性を愛し、一方で、泣かせもしました。
晩年の入院生活は、泣かした分のツケかなと思いますが、赤塚不二夫さんは、最大限幸せだったと思います。
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