いだてん第6話の辛亥革命と嘉納大河!金栗と播磨屋!日本橋で!感想

いだてん ネタバレ 38話(10/6)古今亭志ん生ビートたけし脳出血「長いお別れ」 いだてん

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第6話 2月10日 「お江戸日本橋」

2019年2月10日(日)

あらすじ

予選会での四三と弥彦の快走に喜ぶ治五郎でしたが、オリンピックへの派遣費用が5人分で5千円になると、その莫大な費用に頭を抱えます。

さらに四三は、オリンピックの意味がわからず、負ければ腹切りかと恐縮し、弥彦は帝国大学を卒業後の進路を考えたいと出場を断ります。

そんな二人に治五郎は「黎明の鐘」になれと熱弁。

その頃、若き日の志ん生である孝蔵も師匠・橘家円喬から、落語は足で覚えるものだと教わり東京の中心・日本橋界隈をひた走ります。

参考:Yahoo!テレビ

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辛亥革命 わかりやすく

辛亥革命とは1911年、中国で清朝を倒し、中華民国を立てた革命のことをいいます。

清朝末期は外国の侵略を防ぐことが出来ずに政治の混乱をきわめました。

1911年10月、孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱をおこすと、16の省がつぎつぎと清朝からの独立を宣言します。

そして清国の最後の皇帝・溥儀が退位することになり、1912年には、孫文を臨時大総統に南京を首都とする、中華民国を建立させました。

このことにより、アジア最初の共和国になります。

感想

金栗と播磨屋の黒坂辛作いい人だ

今日も、四三さんの純朴な姿が、清々しいです。

足袋屋さんの黒坂辛作のところへ出向いて、わびようとすると、黒坂辛作は、底を3枚重ねした足袋を用意してくれていたなんて、うれしいじゃないですか!

辛亥革命と嘉納

オリンピックへ派遣するための費用は、5人で5000円とは、可児さんの給与の7~8年分!

今だったら、6000万円くらい?

それを、嘉納治五郎先生は、四三さんにオリンピックへ出場するためのお金、1800円は自費でというのですから、1500万円くらい?

そんな大金、ないでしょう???

嘉納治五郎先生は、清国の留学生のための費用を、私費で肩代わりすることになり、それだけでも現在のお金で数億円の借金を追っています。

自国の学生なんだから、オリンピック出場費用くらいなんとかなると考えたのかもしれません。

もしかして、四三さんの分も、嘉納治五郎先生が負担をしていたら、もう少し歴史上の人物として有名になっていたのかなと考えてしまいました。

嘉納治五郎先生が一言「なんか、情けねーなー」

本当は、それくらい出して当然と思っていたと思うのに、それができないのですから、これは重い一言になりました。

四三さんの純真さが裏目に

足袋屋さんといい、嘉納治五郎先生からのオリンピック出場の話といい、四三さんの純朴すぎる心根は、裏目になることばかりです。

オリンピック出場など、これほど名誉なことはないと、嘉納治五郎先生は、四三さんに絶対出るよな!といわんばかりですが、四三さんは「出ません!」

「えっ???」

嘉納治五郎先生は、そうでなくても病身なのに、四三さんの返事に、ほとほとがっくりきて、血圧がいやってほど上がったと思います。

四三さんは、十里の距離を日ごろの鍛錬のおかげで走れるか、試そうと思っただけだと、なんとも純真な応えです。

嘉納治五郎先生、四三さんの純真さにイライラしたと思います。

しかも、この期に及んで四三さんの口から「オリンピックとは、何ですか?」

嘉納治五郎先生、絶句です。

大森先生など、オリンピックの説明に、ネイティブな英語で「インターナショナルなアマチュアスポーツと平和の祭典」と話しますが、余計わかりません!

時代が違うというか、今で言うところの情報弱者といわれてしまえば、それまでですが、ルバング島から帰還した、小野田少尉の話を思い出してしまいました。

日本橋で

今回の番組のラストで、オリンピック出場に向けてひたむきに走る金栗四三さんと、噺家への道へと進もうとする孝蔵が、当時東京のへそと言われた日本橋ですれ違う場面、見事です。

走ること以外、接点がありませんが、共に一時代を築く若者が、東京の象徴ともいうべき日本橋ですれ違ったときの、2人の横顔、歩む道が顔に託されたかのようで、なかなか良かったです。

コラム

ヒトラーも絡んでいた?第11回オリンピック招致の裏側

第12回オリンピック招致には東京を含め10都市が名乗りを上げた。その中でも選出される可能性が濃厚だったのが、ローマである。ローマではすでに大理石を前面に使った競技場の建築が終えられていたほか、ムッソリーニは各国に対しても招致活動を行っていたのだ。

ところが、この招致活動には東京招致に大きくかかわる裏事情があった。それはドイツでヒトラーが率いるナチス政権との兼ね合いである。ヒトラーはオリンピック無用論を示しており、その政権奪取が決まると、第11回ベルリンにて開催予定のオリンピックが返上される予測がされていた。

その上で、ドイツとイタリアとの間に黙約があり、ベルリンを返上した際はローマが開催地となるものであった。つまり、ヒトラーが政権を取れば第11回オリンピックがローマで開催され第12回から有力なライバルであるローマが消える。そして、東京の可能性が高まるのであった。

【筆者のコメント】
10都市の中で一番遅くに立候補を決めた東京は招致活動でも後手を取るものでした。ところが、有力なローマが抜けることで招致が成功する可能性が極めて高くなりました。ヒトラー政権の動向が気になりますね。

ベルリンIOC総会で決定した夢の東京招致

第12回オリンピック開催地の決定については二転三転したのであるが、1936年7月ベルリンで開かれたIOC総会において最終決定がなされた。最終投票が行われたのは7月31日、各国の委員が集まっての最終委員会でのことである。

各委員が票を投じた結果、東京が36票、ヘルシンキが27票と9票差をつけての東京開催が決まった。東京招致を決めた前東京市長の永田秀次郎は、オリンピックとは無関係の拓務相となっていたのだが、各国IOC委員に対しての招致活動は続けていた。その熱意が届いたのである。

招致に際し尽力していた文部省体育課室は、東京開催決定の一報を受け、一同で喜んだ。そしてベルリンにいる関係者に感謝の電報を発したのである。招致を決めてから6年、招致にかかわったメンバーの努力が実った瞬間であった。

【筆者のコメント】
東京招致にあたっては、国内外を通じて考えられないほど多くの関係者の努力がありました。夢物語とされていた東京招致がついに実現したのですね。

ベルリンオリンピックでの日本の成績は?

日本にとって4年後の東京開催を控え、ベルリン大会ではぜひとも結果を残しておきたいところであった。この期待は選手軍の健闘を導くものとなる。三段跳びでは、田島直人が世界新記録を出して見事金メダルに輝いた。

もう一つ期待が大きかったのは水泳だ。水泳大国と言われていた日本は、4つの金メダルを取る健闘ぶりを見せた。女子200mの実況中継では、前畑秀子の泳ぎに対し河西三省が「前畑がんばれ!」と声援を送る放送が日本中を沸き立たせた。

マラソンでも日本の孫がオリンピック新記録をだし優勝した。もちろん、海外からの日本への注目も集まった。例えば、陸上長距離の村社講平が出場した1万mで、村社は4位に終わったが、応援席からは、「ヤパン!ムラコソ!」と、その名を呼ぶ声援が続いた。

【筆者のコメント】
東京大会招致国として、日本はベルリン大会でなんとしても好成績を残しておきたかったようです。選手たちはその期待を裏切らない結果を残し、「前畑がんばれ!」の声援は後々にまで語られて有名です。

まさかの反対?オリンピックと万国博覧会の同時開催

1935年(昭和10年)ノルウェーの首都オスロで開催されるIOC総会において、1940年の東京招致は手に届くものになっていた。ところが、不意打ちで、ドイツ駐在大使の武者小路公共(ムシャコウジキントモ)から予想外の忠告を受けることとなる。それは、オリンピックと万国博覧会の同時開催に対しIOCが反対しているというものだった。

同時開催の反対に対しては、古く1900年(明治33年)第2回パリ大会にまでさかのぼる。パリ大会ではオリンピックと万国博覧会の同時開催が行われたのであるが、あたかもオリンピックが万国博覧会の余興であるかのごとく扱われたのである。

これに続いた第3回セントルイス大会も同様の結果となり、オリンピックの内容が充実しなかった経緯がある。そこでIOCは同時開催に反対するようになった。総会に出席予定だった杉村陽太郎は、即座に東京市に対して、万国博覧会の開催時期を検討し直すように電報を打ったのである。

【筆者のコメント】
オリンピックと万国博覧会の同時開催というと、よりたくさんの観光客を迎え入れられそうな印象を受けますが、実際はどちらかの内容が薄弱になりやすく、IOCも懸念材料としていたのですね。

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