別れるときに「さようなら」をいうのは、「もう、家に帰るからね」とか「また、会おうね」という意味だと思っているのですが、何か他にあるのでしょうか?
「チコちゃんに叱られる」(2019年3月8日放送)より、まとめました。
別れる時の挨拶あいさつのさようならの意味は?
「これまではこうだったんだから、そうであるならばこの後は・・・ね」という意味が込められているから。
詳しく教えてくださるのは、日本人と思想と日本の歴史を研究している竹内整一教授です。
日本語の別れの言葉「さよなら」は、世界でも珍しい言葉遣いです。
先生によると、世界の別れ言葉は大きく分けて3つあります。
英語の場合1:ホームステイの別れ
日本人「気をつけてね」
外国人「Good bye」
これは「God be with you」の短縮形で、直訳すると「神があなたとともに」
神に相手の無事を願う別れ言葉
英語の場合2:友達との別れ
友人A「自分たちの彼女を会わせて一緒に飲みに行こう。」
友人B「See you later」直訳すると「また会いましょう」
つまり再会を願い合言葉
英語の場合3:卒業での別れ
友人同士「Farewell」
直訳すると「うまくやっていってください」
相手の健康を気遣う。
このように英語以外でも、スペイン語、フランス語、ドイツ語、3つのいずれかが当てはまります。
日本語の「さようなら」は、どれにも属しません。
「さようなら」は、「さようであるならば」という意味の「さらば」「さようならば」という接続詞
例えば平安時代の「竹取物語」には
男どもが言うには、
「をのこども申すやう、」
そういうことであるならばしかたありません。
「さらば、いかがはせむ。」難しいことであっても、
「困難なものであっても、」
ご命令にしたがって
「仰せ言に従ひて」
この
「さらば、いかがはせむ。」
の「さらば、」は、「そういうことであるならば」と、前の文章につなげて、後ろの文の接続詞です。
しかし、この接続詞が、別れを含んだシーンでも多く使われていた。
同じ時代の源氏物語を見てみると
世を背きぬべき身なめり
「出家するしかないぞ」
など、言ひおどして、
「と言われ、」『さらば
「そういうことであるならば
今日こそは限りなめれ』
きょうでお別れです。
別れを現す”今日こそは限りなめれ』”の文章の前で使われています。
別れを含んだ表現の中でも、多くつかわれるようになってきて、「さらば」「さようならば」=別れ
「さらば」「さようならば」の後ろにある「別れの文章」が省略され、後に続く言葉がなくなり、「さようならば」の「ば」も省略され、後に続く言葉がなくなり「さようなら」になったというのです。
日本人は、別れを、いったん立ち止まり、確認して次のことを進む節目と考えていたんです。
「さようなら」という接続詞が、いろんな意味を含む別れ言葉になりました。
つまり別れる、「今までは〇〇だったから、そういうことであるならば××しよう!」
という意味を込めて「さようなら」を使います。
「さようなら」の意味は、場面によって変わります。
さようなら意味は?
さよなら1:校長先生の「さようなら」
学校から帰る生徒に校長先生が「さようなら」を言うのは
意味は?
「今日も一緒に楽しく過ごせましたよね。そうであるならば、明日も元気で来るんだよ」そんな感じでしょうか。
さようなら2:結婚生活40年~熟年離婚の「さようなら」~
小さなイライラが毎日積もっていたが、子供が自立したので、熟年離婚に至った夫婦の「さようなら」の場合は?
奥さん「さようなら」
意味は?
「いやいやなんとかやってきたけれども、あなたは全く変わろうとしなかった。そうであるならば、明日からはそれぞれに人生を楽しんでいきましょう。」
さようなら3:~ホステスの「さようなら」~
常連客を見送るホステスさんの「さようなら」は、
ホステスさん「お体にお気をつけてくださいね。さようなら」
意味は?
「今日も、いっぱいお金を使ってくれてありがとう。そうであるならば、またいっぱい稼いで遊びに来てくださいね」
つまり「さようなら」は、それだけ多様性のある言葉なのです。
なぜ、日本人は、言葉自体に意味のない別れ言葉を使っているのでしょうか?
それは、日本人の忖度文化にあると考えられます。
日本人は、はっきりと言葉にせず、状況を察し合うことを好む傾向があります。
つまり、ホステスさんの「さようなら」を言うと、「お金を使ってくれてありがとう。そうであるならば・・・ね!」というように、すべてを言葉に出さない。はっきり言わないことを良しとする文化が日本にはあるのです。
さよならの大事な意味は、これまでを確認して、さようであるならば、この先も大丈夫という祈りにつながっている。
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