卒業シーズンになりました。今でも、好きな人から、制服の第二ボタンをもらうなんて習慣があるんでしょうか?
バレンタインデーみたいなものかな?
卒業式で第二ボタンをあげるのはなぜなんでしょう?
「チコちゃんに叱られる」(2019年3月8日放送)より、まとめました。
第二ボタンの由来は?
第一ボタンだと怒られるから
詳しく教えてくださるのは、学生服メーカーの研究員で、現在ユニフォーム研究家の佐野勝彦さん。
卒業式に、制服の第二ボタンをあげるという風習は、実は高校の先生方が広めたのです。
戦後間もない1950年ごろ、高校の先生方が集まる研修会がありました。
そこで、ある校長先生が、教え子のエピソードを話したのが最初です。
卒業式で、第二ボタンをあげるきっかけを作った、戦時中のある男子学生のエピソードとは?
別れの第二ボタン もらう理由
それは許されない禁断の恋でした。
兄嫁「あなた、どうかご無事で帰ってきてください」
兵士として戦争に行った兄の嫁を、義理の弟は毎日見つめていた。
義弟「だいじょうぶです。兄は必ず無事に帰ってきます。」
義弟は、兄嫁に恋心を抱いていました。
しかし、そんな恋心とは裏腹に、戦争は激化してまいります。
ついには、学生の義弟も出征することになります。
当時、物資が不足していたため、軍服ではなく、学生服で入隊します。
義弟「義姉さん、それでは行ってまいります。」
兄嫁「必ず、帰ってきてね」
兄嫁から、必死に繕うとする笑顔から涙がこぼれます。
すると義弟は、自分の学生服のボタンを静かに取ります。
「義姉さん、これを俺の分身だと思って、お願いです。大切にしてください。
恋心を寄せていた兄嫁に思いを込め、第二ボタンを渡したのです。
そして戦地に赴いた兄弟は、兄嫁の思いもむなしく、2度と姿を見せることはありませんでした。
(生還することはありませんでした)
そして、このエピソードを聞いた先生たちが、兄の出征で、兄嫁を好きになってしまった。兄弟ともに亡くなってしまう。戦争の悲劇を、繰り返さないように、先生方が、自分たちの学校へ持ち帰って教えました。
そして、いつしか第二ボタンのエピソードだけが、別れの行事である卒業式の風習として、伝わっていったのです。
どうして第二ボタンだったのか?
第一・第五ボタンを外すと、制服が開いてしまって、すごくだらしなく見えます。
「上官に怒られます」(管理人:いつの時代だ?)
制服の構造上第三・第四ボタン周りが最も体と密着しています。
これを外すと、かなりだらしがなく見えます。
第二ボタン周りは、作りに余裕があります。
第二ボタンが無くても、服装が乱れにくい。
人にあげるのに、適していた。
また、第二ボタンは、一番心臓に近い部分にあります。
自分の心を差し上げますということにも、つながっていったんじゃないか。
この第二ボタンをあげるという風習は、全国に広がり、1980年代に入ると、
1983年柏原芳恵さんの「春なのに」で「記念にください。ボタンをひとつ」
とか
1985年斉藤由貴さんの「卒業」で「制服の胸のボタンを下級生たちにねだられ」
大ヒット曲の歌詞に使われたことで、風習が全国に定着します。
戦争の悲劇の象徴だった第二ボタンの意味合いが次第に失って行き、今では人々の恋愛感情のシンボルへと変わっていきました。
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