いだてん13話金栗四三がペトレ一家助けられラザロ選手死去あらすじとネタバレ!3月31日感想

三遊亭朝太いだてん経歴や画像?孝蔵役の森山未來が金原亭馬生と古今亭志ん朝

2019年3月31日(日)

あらすじ

四三さんは、ダニエルに案内され、自分がコースからはずれてペトレ一家に助けられた行程をたどり、自分の身に何が起こったのかを思い起こしていく。

レースでは、共に戦ったポルトガルのラザロ選手が日射病で倒れ亡くなっていた。

大きなショックを受けながらも、四三さんは前を向きます。

東京では孝蔵も初高座に臨んでいた。プレッシャーに負け手を出した酒に酔ったまま、落語「富久」に挑みますが

参考:Yahoo!テレビ

<<前回第12話 | 次回第14話>>

スポンサドーリンク

感想

四三さん切ない
兄の実次をはじめ、学校の仲間、四三さんのオリンピック出場のために、みんな期待をかけ、四三さんは、純真にその期待に添うようにがんばったのに、まさか熱中症のため棄権になってしまったなんて、なんと言っていいかわかりません。

多大なお金がかかっています。

お金だけの問題ではありませんが、全国にも知れ渡り、開国して以来、無名の日本人が海外で活躍をするのです。

誰でも海外に行ける時代じゃありません。

期待のかかり方が違います。

もちろん一番ショックを受けたのは四三さんです。

ともかく、どんな道順でホテルにたどり着いたのか、検証することになります。

熱中症でボーっとした四三さんは、意識が薄らぐ中で、ペトレ家の庭に入り込んでしまいます。

この時の出演している人たちは、ペトレ家の子孫の方たちです。

いだてんnhk大河ドラマのロケ地?海外スウェーデンペトレ家の人本物

スウェーデンでは、金栗四三さんは、「ミッシングジャパニーズ」として有名なんだそうです。

まさか、ご先祖さまのたどったことを再現することになるとは思いもしないことだと思います。

ラズベリージュースとシナモンロールをもてなしてくれたそうです。

ラザロの死
よろこびに満ちたオリンピック出場かと思われましたが、意外な展開になってしまうのです。

足袋をあげたポルトガルのラザロ選手が、熱中症で亡くなってしまうのです。

日焼け止めに、ワセリンを使っていたことで発汗できず、危険因子になってしまったようです。

しかも妊娠4か月の奥さんを残し、21歳で亡くなってしまうのです。

四三さんの棄権も、相当ショックだったと思いますが、戦友をも亡くしてしまったのです。

こんなことって、無念としか言いようがありません。

大森先生
予算の余裕のない日本です。

治五郎先生は、閉会式に参加せず、日本に帰国すると言います。

仕方がないです。

錦を飾れるかと思ったのに、さんざんな結果になってしまい、ただですら乏しい予算です。

潔く、帰国を決断はやむを得ないです。

ひとまず四三さんと弥彦は、大森先生のところへあいさつに伺うと、安仁子は、大森先生の具合の様子が良くないことから、面会を謝絶します。

すると、大森先生は、その数か月後に、37歳の若さで他界してしまうのです・・・

何もオリンピック出場のために、日本が国を上げて、色々な整備を整えていたワケではなかったとは言え、予期せぬ事態の連続になってしまいました。

最初から、物事がうまくいくわけがありませんし、戦争とくらべてはいけませんが、明治維新以来、日清戦争、日露戦争と勝ち進み、オリンピックも同じように結果を残せると思っていたのかもしれません。

弥彦ステキ!
気持ち暗くなる展開ですが、四三さんが弥彦から借りていたカメラを返そうとすると、なんと弥彦は、四三さんにカメラをあげるなんて言うじゃないですか。

しかも「君は、これから世界を渡り歩く男だ。そのキャメラに世界の風景を収めてくれ。実は、新しいのを買っちゃったんだよね」

きゃー弥彦、カッコいい!!!

確かに、海外に来て、新しいモノを目にしたら、欲しくなってしまったのでしょう。

当時、カメラなんて、そうとう高価だったと思います。

四三さんは、1916年のベルリンオリンピックへ期待をよせますが、海外の渡航費用も大変なのに、カメラを買う余裕など、とてもなかったと思います。

弥彦、スゴイ!

コラム

日中戦争高まる国外からの声

国内での返上論が強まっていく中、国外でも日本の開催能力に疑問を持つ声が高まっていった。政府自身は、日中戦争は早期に決着がつくだろうとの予想を立てていたが、国外からは中国による抗日感情の強さが手に取るようにわかったのだ。そのため、戦争が長期間続くと考えられていた。

ドイツに駐在していた武者小路公共は、外相広田弘毅に対して大会の開催を要求している。東京開催決定の裏側にはヒトラーの協力があったことから、ここで返上すれば日本の威信にかかわると説いた。フランスに駐在していた杉村陽太郎も、同様にオリンピックの返上問題は日中が原因となって出たのではないかと外務省に問い合わせている。

これに対し政府は、日中関係に左右されることなく開催準備を進めている旨宣言した。これに加えて、競技部長郷隆は、政府の援助がなくてもスポーツ関係者と東京市の努力で大会を開く旨を述べている。しかし、海外諸国が日本に対して抱く疑問の念はますます強くなるのであった。

【筆者のコメント】
日中戦争が長引くであろうという体感は世界各国に広まっていました。その上で、戦争と大会との両立は厳しいのではないかという疑問が各国に湧き起ってきたのですね。

高島文雄が述べた東京招致3つの消極理由

全日本体育協会の主事で弁護士でもあった高島文雄は、体協機関誌の「アスレチックス」の中で、オリンピック東京招致についてその意見を述べた。それは、東京招致について可能であれば喜ぶべきものだが、現状は不安視しているというものである。

そこには3つの理由があった。1.東京はヨーロッパとの距離も遠く、開催都市の決定に当たっては地理的な問題がある。2.競技場の建設はできうるとしても、観戦に訪れる外国人観光客に対して、十分な宿泊施設を用意できないのではないか。

3海外交流も乏しく、英語やドイツ語、フランス語など外国客が用いる言語を翻訳できる人が少ない。このような3つの理由を考えたときに、東京招致を前向きに考えられなかったのである。この隔たりは、後々まで続くこととなった。

【筆者のコメント】
高島氏は弁護士として活動しており弁が立つことに加え、理論的な理由から大会招致に否定的でした。しかし、後に彼の所属する体協は招致活動に乗り出すことになりました。

国際オリンピック競技大会に関する実行委員会の設置とIOCへの招諸

1931年10月28日、東京市議会でオリンピック招致案が可決された。これを受けて、11月27日に永田秀次郎東京市長、岸清一大日本体育協会会長、平沼亮三同会副会長があつまり、招致活動に協力することを約した。その後、東京市秘書課の清水ら幹部数名がエドストロームを訪ねて行った。

エドストロームと親交のあった早稲田大学教授の山本による招待状と永田市長の挨拶状、そして清水が持参した手土産を渡すとエドストロームは喜び日本への協力を語った。翌1932年7月28日には東京市議会で「国際オリンピック競技大会に関する実行委員会」が設置された。

さらにロサンゼルスで開かれたIOC総会では永田市長による招諸状が披露することとなった。他方、国内では永田は外務省へも協力を要請した。当初消極的な態度を見せた外務省であったが、内田康哉外相はアメリカなど諸外国の公館へ招致活動への協力要請を伝えた。

【筆者のコメント】
永田氏の招諸情がIOC総会にて紹介されたことで、事実上、日本の第12回オリンピック大会に対する立候補が決まりました。招致活動が国際的にも動き出したのですね。

再招致なるか?未来に向けての動き

1940年東京招致に力を入れてきた東京市オリンピック委員会にとっては、1940年が返上はやむにやまれぬものだと受け入れた。しかし、副委員長の桑原信助は、返上は一時的な中止であるとし、1944年、1948年の再招致に向けて、力を入れようとしていた。

委員長であった中塚栄次郎もこれまでのオリンピック精神は今後も引き継がれていくものだとした。そこで、第12回オリンピック中止勧告を承認する際、委員会は「次期オリンピック大会を東京に誘致するために努力する」と宣言した。

しかし、市会の中には再招致に反対する声も上がっていた。さらに戦争が進むことで再招致の声は消えていった。1939年11月16日、東京市会においてオリンピック委員会を廃止すべきとの緊急動議が異議なしとの満場一致で可決された。

【筆者のコメント】
その後、東京招致が実現したのは返上から26年後の1964年となりました。アジア初のオリンピックを!と奔走した当時の招致委員たちの熱意は長い時を経て無事成就したのですね。

思いの結実!オリンピック招致活動が現実になった瞬間

東京市の代表永田秀次郎は紀元2600年の催しとして、オリンピック大会の東京招致を計画していた、しかし、当時の日本にとって、オリンピックの招致は夢物語ともいえる様な遠い存在だった。何より、計画を立てようにも人脈にも欠ける状態だったのだ。

そんな折、1930年6月10日ヨーロッパ遠征を行うため、山本忠興監督が率いる日本学生陸上チームが、永田を訪問した。内容はドイツで行われる第4回国際学生陸上競技選手権への出場を報告する者であったが、東京都ベルリンとの間での親善対抗協議会の開催も計画された。

永田はそのチャンスを見逃さず、山本に、欧州を周る際、東京で第12回オリンピック大会を招致できないか、その可能性を探ってほしい旨を伝えた。東京招致を夢見ていた山本はその提案を快諾。東京市と陸上界、オリンピック招致への活動がスタートしたのだった。

【筆者のコメント】
オリンピックを開催したい東京市長永田氏と日本学生陸上競技連合会長であった山本氏との思いは、この訪問を機に通ずることができました。二人の喜びはひとしおだったでしょう。

<<前回第12話 | 次回第14話>>

スポンサドーリンク