いだてん14話金栗四三がスヤ綾瀬はるかとお見合い!あらすじとネタバレ!4月14日感想

いだてん おりん役モデル実在?若い頃の女優夏帆(かほ)年齢や結婚? いだてん

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2019年1月20日(日)

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あらすじ

ストックホルムから帰国する間に、明治天皇が崩御し、年号は大正に変わっていました。

「大喪の礼」が済んで間もないため、四三さんが東京へ戻ってきた時には、自粛ムードがただよっていました。

報告会で大勢の高師の仲間が健闘を称える中、敗因を厳しく問いただす女性が現れます。

永井道明(杉本哲太)の弟子で東京女子師範学校(現お茶の水女子大)の助教授・二階堂トクヨ(寺島しのぶ)でした。

同じ頃、孝蔵(森山未來)は四三とは逆に東京から旅立とうとしていました。

円喬(松尾スズキ)とは別の師匠について地方を回るのでした。自分は円喬に見限られたと落ち込む孝蔵。

しかし、出発のとき、新橋駅に円喬が駆けつけ―

大正2年3月、治五郎はようやく帰国しますが、体育協会の会議で席が撤去されています。

その頃、四三さんは熊本に帰ると、実次からスヤと見合いをさせられることに。

参考:Yahoo!テレビ

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感想

二階堂トクヨ

ストックホルムオリンピックから帰ってきた金栗四三さん。

地味な出迎えは、ありがたかったとは言え、宿舎のみんなにお礼のあいさつをしなければいけません。

宿舎のみんなは、無事に帰ってきたことで、それだけで良かったんですね。

ほんと、いい人達です。

そんなみんなに甘えるかのように、土産話で盛り上がっていると、まかないのおばさん扱いされている、少し眼光するどい女性が「そんなつまらない話なんていいから、どうしてこのような結果になったのか原因はなんだ」と詰め寄ります。

このころは男尊女卑が、激しかったころですが、この女性は、そんなことにひるむことがないばかりか、「男に生れたことは、棚からぼたもちだ!」

そこまで言いきってしまうとは、スゴイ人がいたものです。

この人は、後に「日本の体育の母」と呼ばれる二階堂トクヨという人です。

さすが三島弥彦!
今日もまた、痛快男子の三島弥彦、決めてくれましたね。

オリンピックから戻ってきたら、明治から大正に変わっていたというのも、すごい展開ですが、天狗倶楽部も時代の合わせて解散すると言うのです。

なんでも野球をやるのは、姑息なアメリカ人には適するが、英国紳士や日本男児は、向いていないと聞いた弥彦。

日本の島国しか知らない人が大半ですが、自分は、今しがた西洋から帰ってきたばかりです。

オリンピックに参加したことで、いかに海外では、スポーツが盛んだったか、身をもって確認してきたのに、なんたることだと、それなら兄の銀行のサンフランシスコ支店に行こう!!!

この時代に、そんなことやすやす言ってのけて、行動できる人なんて、早々いません!!!

痛快男子ぶりが痛快!

拍手!!!

大森先生死去
まさか、大森先生が亡くなって、安仁子が、大森先生の肖像画を胸に抱き帰国するなんて。

アメリカで勉強をして、もっと日本でスポーツに関わることをしたかったでしょうに、なんと無念な。

治五郎先生
そして、治五郎先生も、日本体育協会に行ってみると、自分の席がありません。

治五郎先生の借金と体育協会の財政立て直しを、治五郎先生の代わりに弁護士の岸清一が代わり引き受けると言うのです。

永井は、「時代は変わったんですよ」と、治五郎先生に告げますが、なんだかいやったらしいです。

お見合い

まさか、まさか、結婚したはずのスヤさんとお見合いするなんて、そんな展開があって良いのでしょうか?

しかも、スヤの姑の池部幾江が、なぜいるの?

四三さんには、夢のごとしなんでしょうが、現実です。

それにしても、四三さんにとって意中の人だったはずですが、結婚してあきらめたのに、こんな人生があるのですね。

コラム

出場からたった24年での開催地決定

1940年は日本にとって皇紀2600年に該当する。即ち国家の一大記念でもあるのだ。そこで日本を代表する年である東京はオリンピックの招致を決定した。招致にあたっては、嘉納治五郎をはじめIOC委員の副島道正伯爵、イタリア駐在大使であった杉村陽太郎たちがIOC内で必死の招致活動にあたった。

1935年の総会では東京、ローマ、ヘルシンキが候補地となり、1936年の総会では東京が候補地として決定した。立候補から短期間における招致決定は世界でも類を見ないものであった。彼らの熱心な招致活動はIOC委員の心を動かしたのである。

日本は1912年、金栗四三が長距離走者として初のオリンピック選手となったのだが、そこから考えるとたったの24年で開催国に選ばれた。それまではヨーロッパがメインとなっていたのだが、アジアでも初めての決定ということで、招致グループの喜びはたいそうなものだった。

【筆者のコメント】
当初、金栗氏がオリンピックに出場したことは、日本にとってとても名誉なことでした。その日本が24年で招致に成功したことは世界的に見ても驚くべき結果となりました。

初の生中継と遠距離写真電送、技術進歩が報じた大会
ドイツで行われた第11回オリンピックベルリン大会では、日本放送協会による競技の実況生中継が行われた。前回のロサンゼルス大会では、実感中継という、アナウンサーが競技を観戦後再現しながら放送するというなんとももどかしいものであったが、実況生中継は会場の臨場感が伝わってくるものであった。

また、新聞各社では、特派員を派遣し、競技を観戦させそれを記事にするという観戦記を掲載、日本に居ながら試合を見守る国民は、まるでその場にいる様な気持ちで読み入った。
さらに、遠距離写真電送も実用に至った。

ロサンゼルス大会では、船で運んだフィルムを飛行機で吊り上げるという原始的な方法がとられたが遠距離写真電送で、スピーディに画像を送ることができた。もちろん、当時は画素も荒かったのであるが、それでも速報を待ち望む国民にとっては喜ばしいものだった。

【筆者のコメント】
ロサンゼルス大会とベルリン大会では、科学技術の進歩によって報道手段も変わりました。今となってはメール一通で送れる画像も当時はぼんやりとした写真でしたが、それでも新鮮だったことでしょうね。

初めて日本が好成績を残した!ロサンゼルス大会の金メダル

高まる日本国民の期待を背負った選手団は、横浜港からロサンゼルスへと長期にわたる船旅で移動した。国民からの期待はある種プレッシャーにも感じ取ることができたのであるが、日本選手団は、ロサンゼルス大会で好成績を残すこととなった。

例えば、男子競泳だ。当時水泳大国と言われていたアメリカを下し、6種目のうちの5種目を日本が制覇した。さらに、100m背泳ぎでは日本人選手が1位~3位を総なめにすることとなった。三段跳びでは南部忠平が世界新記録を樹立するとともに、オリンピック2連覇を飾った。

また、棒高跳びでは西田修平が銀メダル、馬術では男爵であった西竹一が名馬ウラヌス号ととおに、大障害飛越競技で優勝、「バロン・ニシ」として、その名を世界に広めた。国民から受けていた期待を、メダル獲得という結果で選手団は残したのだった。

【筆者のコメント】
日本からロサンゼルスへの船旅は長時間に及び、到着時には疲れもあったでしょう。そんな中でのメダル獲得に、選手団の頑張りが見受けられますね。

昭和13年7月16日ついに東京大会の返上が決まる

国内でオリンピックの開催を行うべきか、行わないべきか、議論が進む中、勘案の結果、商工省は万国博覧会の中止を決めた。それに伴い、厚生省の木戸孝一厚相らはオリンピックの中止も視野に入れた、そして、議案は閣議へと移行した。

閣議では、「東京大会の開催を中止されたし」との意見がまとまった。昭和13年、7月16日、オリンピック東京大会を2年後に控えた夏の日、組織委員会もこの意見を受けて、閣議の意向を承認、東京大会の返上が決まったのだ。

すぐに、日本政府はIOCへ連絡を入れ、IOCはヘルシンキを開催地として選んだ。これをフィンランドも承諾したのだが、第二次大戦によってヘルシンキも返上されることとなった。戦火は、各国のスポーツ大会をも中止に追い込んだのだった。

【筆者のコメント】
日本が実現した東京大会招致が、戦争という国家間の政治的な問題で返上されることとなりました。その無念を想い金栗氏は、「スポーツ界のために泣いた」と日記に記したそうです。

譲っていただけないか?ムッソリーニに対する立候補撤回の懇願

1934年、当時イタリア大使を務めていたIOC委員の杉村陽太郎が、ムッソリーニと対談したときに、ムッソリーニは東京招致に対して友好的な態度を示した。第12回オリンピック招致の最大のライバルでもあるイタリアの首相の態度は東京にとって可能性を見いだせるものだったのだ。

そこで、IOC委員となった副島道正がムッソリーニへの説得を行うことになった。しかし、不運にも副島はその道中、病気にり患してしまう。1935年1月16日副島は杉村大使と共にムッソリーニとの面会を予定していたのだが、待機中に倒れてしまった。

病をおして面会を強行する副島の意思がムッソリーニにとっては「サムライ」の心の表れだと感じられた。2月8日ムッソリーニとの対談が実現した。副島は、1940年が紀元2600年であることを告げ1940年を譲っていただけるのなら1944年ローマ大会を支援する旨伝えた。そして、待ちに待った返事が返された。ムッソリーニはローマの辞退を約束したのだった。

【筆者のコメント】
副島氏の熱烈な招致への想いは、一番の有力都市であったローマ辞退を導き出しました。まさに努力のたまものですね。

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