2019年4月24日(水)
あらすじ
おはる(仙道敦子)が年季明けで、実家に帰ってきました。
おはるは、今度は製糸工場に行くことになったと、おしんとなかに告げます。
製糸工場は、奉公よりも楽で、工場が終わったらお茶やお花など、花嫁修業ができるとうれしそうに話しますが、なかは、どうせ口入れ屋にうまい話ばかり聞かされたんだろうと見ています。
竹造は、おしんが奉公から逃げてこなかったら、もう少し何とかなったと言います。
米がとれなかったら、どうにもならないことを、子ども心にもおしんは知っていました。
参考:Yahoo!テレビ
前置きレビュー
死に損ない
おしんは、自分の目の前でおきたことに、気持ちの収集つかなかったと思います。
それでも、じっとしてはいられないので、洗濯をしていると、通りすがりの少年たちが、おしんのことを、「脱走兵と一緒に隠れていた」「お前は、どうして生きているんだ」と容赦のない言葉を浴びせてきます。
50銭を盗んだのは濡れ衣だったのに、そうとは知らず逃げてきたばかりに、作造は米1俵を返すことになり、おしんは、とんでもない仕打ちをされてしまいます。
幼いおしんには、生きているのがつらくなるような思いばかりです。
脱走兵は卑怯者
お国のために戦うことが当たり前の時代に、俊作は、その戦争から、おしんと同じように逃げてきたのです。
盗人呼ばわりされて逃げたおしんと、人を殺めなくてはいけない戦争がイヤで逃げてきた俊作は、脱走兵として、卑怯者呼ばわりをされることになるのです。
俊作の身の上
おしんには、つらい日々ですが、それでも母のふじと年老いた祖母のなかがいてくれたので、まだ良かったのかもしれません。
それでも、一人さみしく気持ちを埋めるように、俊作からもらったハーモニカを吹いていると、まるで呼び出したかのように、松造が現れます。
松造は、俊作のむごい思いを目の当たりにした幼いおしんが、どんな思いでいるかと思うと眠れないと言うのです。
自分の足が悪くなかったら、こんな悲劇に合うことはなかったと思うと、いたたまれません。
俊作が見つかったのは、たまたま他の軍で厳しさに耐えられない兵隊が脱走して、それで山狩りをしていた時に、運悪く見つかったのです。
俊作は武士の家の息子で、立派な軍人の家に生れ、日露戦争で旅順に行き、二百三高地の最前線で戦ったとき、俊作の考えが変わったのだと言います。
人を殺めたり、部下を亡くしてしまったりする戦争のむごたらしさがイヤになったので、卑怯や臆病で逃げたのではないと、おしんに語ります。
この村では、日露戦争に沢山兵隊として出て行き、戦死している人がいるので、脱走兵と言うと目の敵にされるのでした。
感想
おはるさんが年季明けて帰ってきた
落ち込んでいるおしんに、姉のおはるが年季明けで帰ってきました。
明るい表情で、次は製糸工場は行くと告げるおはるさんを、おしんは頼もしく思ったに違いありません。
ですが、祖母のなかは、製糸工場など大変なのに、大丈夫かと心配します。
貧しさを救うために、父の竹造が決めてしまっていたのでした。
こんなカワイイ娘に、暇など与えない竹造は、鬼のようにも思えてしまいます。
久しぶりに、大竹しのぶさんの「ああ野麦峠」を、つい観てしまったのですが、製糸工場に行き頑張って働くものの、結局は結核になって亡くなってしまうのですが、実話なのだそうです。
若い娘が、家族の貧しさのために、一生懸命働いて、キレイな着物も着ることができたのですが、労働環境がいいとは言えない中で、いくら若くても限界があったのだと思います。
明るくてカワイイおはるさんですが、この後、無事にお嫁に行かれれば良いのですが。
厳しい現実
この当時、農家の8割くらいは、小作だったのだそうです。
地主から、土地を借りて、米で返しますが、米が不作だと、その分を借りて、さらに利子をつけて返さないといけないので、不作だった時は恐怖です。
そのことを思えば、娘を働かせることくらい、どうってことなかったのかもしれません。
今は機械化されているので、女工さんが労苦などすることがありませんが、機械の代わりに若い女工さんたちが糸をつむぐのです。
竹造は、奉公先から逃げてきたおしんに、家でゴロゴロしてもお金にはならないと責め、学校へ行けるわけでもないし、おしんは家に居づらいと思います。
おはる驚く
いまだ竹造の許しをもらえず、納屋がおしんの部屋になってしまっていますが、そこで、俊作からもらったハーモニカを吹いていると、おはるがハーモニカの音色を聞きつけて入ってきます。
ハーモニカは高価なもので、おはるの奉公先の坊ちゃまが良く吹いていたと話し、そんな高価なものを、どうしておしんが持っているのか、驚きます。
そればかりかおしんは、文字も書けるし、詩も習ったと暗唱します。
同じように奉公に行ったおはるは、読み書きができないので、おしんに関心をして、石板と石筆を買いなさいと、奉公先を辞める時にもらった餞別をくれます。
幼いおしんに、やさしくしてくれるおはるさん、うれしいでしょうね。
手紙書く
おしんは、亡くなった俊作宛てに、「今頃は、あんちゃんは極楽で楽しく暮らしているでしょう。」と石板を使って手紙を書きます。
俊作にとって、これは何よりの供養になっているかもしれません。
夕飯の支度はまだかと、祖母のなかに呼ばれるおしんは、つい夢中になってしまい、時間を経つのを忘れてしまっていました。
こういうところは子供らしいのですが、実の兄の庄治は、役立たずだと冷たく、またしても居づらいです。
夏になっても、おしんは竹造に許されず、納屋にいます。
一人、石板で文字を書いていると、竹造に見つかってしまい、鬼の形相で、竹造は叱ります。
今年も、また米が採れないと、竹造は、イライラしているのですが、おしんだって、子守りをしたり草むしりしたり、できることはしています。
母のふじは、ちゃんとおしんが家の手伝いをしてくれることをわかってくれて、それが救いです。
おそらく文字の読めない竹造には、おしんが石板を使って何か書いているのは、遊んでいるとしか思えないのでしょうが、ふじは、文字が書けることに驚きます。
日本は、識字率が高いと言いますが、それでも女性の場合は、3割くらいだったそうです。
ふじが驚くのも、当時としては、無理もなかったのかもしれません。
そして、おしんに新しい奉公先の話が舞い込んできたようです。
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