いだてんあらすじ15話感想!金栗四三の嫁再婚?ネタバレ!4月21日

三遊亭朝太いだてん経歴や画像?孝蔵役の森山未來が金原亭馬生と古今亭志ん朝

2019年4月21日(日)

あらすじ

兄の実次に呼ばれ熊本に帰った四三さんを待ち受けていたのは、未亡人となっていたスヤとの見合いでした。

幾江(大竹しのぶ)と実次に押しきられる形になったものの、四三とスヤは晴れて祝言をあげます。

しかし四三はスヤを残して東京へ行ってしまいます。

次のベルリンオリンピックで勝つために練習に打ち込みます。

旅巡業の孝蔵(森山未來)が訪れた浜松では、若者達が日本泳法の稽古に励んでいました。
その中には―

参考:Yahoo!テレビ

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感想

スヤさんと祝言
今と違い、昔は、家の存続を大切に考えられていたので、養子をとるのは、わりとあった話のようです。

とは言え、たまたま家に帰ってきたら、幼なじみのスヤさんと見合いをさせられて、すぐに祝言とは、四三さんならずとも驚きで、気持ちがついていかれなかったのではと思います。

しかも、スヤさんは一度、結婚している身です。

表向きは、ことが進んでしまっても、四三さん自身が、気持ちの整理がつかないままで、どうして良いものか戸惑ってしまったと思います。

夢に見ていたかどうかわかりませんが、スヤさんとの祝言。

綾瀬はるかさんの文金高島田が、良くお似合いです。

四三さんは、突然の結婚と同時に、庄屋の若旦那ですが、ともかく学校を卒業しないといけません。

新婚早々、単身赴任状態で、自分の行く末を見定めようと、毎日切磋琢磨していますが、そんな中で、道筋が見えたようです。

養子ということに甘んじることなく、オリンピックで、なんとしてでも結果を出したい。

それが許される環境にいられて、努力の甲斐があったものです。

浜名湾のかっぱ
砂浜で炎天下で練習する四三さんよりも、圧倒的に浜名湾で泳いでいる、かっぱたちの方が、楽しそうに見えます。

これは育った環境によるところが、大きいです。

治五郎先生ステキ!
四三さんは、一度、こうと決めたら、とことんやり遂げようとします。

みな学校を卒業したら、教員になるのが当たり前の中、自分は教員はやらないで、東京でトレーニングをやると言います。

官費を使って、教員にならないとは何事だ!永井先生は、一喝します。

すると、治五郎先生は、四三の生足を見て、こんな汚い足をして「不合格」だと言って、四三さんにトレーニングを続けさせることを許してくれます。

「スポーツ選手第1号になれ!」

さすが!治五郎先生、ステキです!

金栗四三の嫁再婚?

ドラマでは、幼なじみの医者の娘であるスヤが、一度結婚をしたものの、旦那が若くして亡くなってしまい、金栗四三さんと再婚することになります。

そんな都合のいい話があるのかと思いますが、実際には、スヤさんは初婚で結婚しています。

ドラマで大竹しのぶさんが演じる池部幾江さんは、金栗四三さんの叔母になります。

池部幾江さんは、資産家に嫁いだものの、子供ができず、夫に先立たれてしまい、血縁者である四三さんを養子に迎えて池部家の跡を継がせることを考えていました。

このエピソードをもとに、創作されたのですね。

スヤとは、お見合いの時が初対面だったそうですが、四三さん23歳、スヤは22歳でした。

お見合いの翌日に、祝言をあげます。

池部家の養子になったので、池部姓になるのですが、マラソン選手として有名になっていたので、養子先の計らいにより、公には金栗姓を名乗ったのとのことです。

そんな都合の良すぎる話があるのかと思っていましたが、これを知って安心しました。

コラム

進むドイツの民族差別と第11回オリンピック開催の可能性

1933年1月30日ドイツの大統領ヒンデンブルクが、ナチスの相当であるアドルフ・ヒトラーを首相に指名した。その結果、ドイツ第三帝国としてヒトラー率いる政権ができたのだ。ヒトラーは国家社会主義を正義とし、ユダヤ人の排斥を試みた。

この排斥運動は著しく、ベルリンンオリンピック組織委員会の会長であるテオドル・レヴァルトもユダヤ系人物であるとの理由から、会長職を引き下ろされそうになったのだ。このようなユダヤ人排斥運動に反対の意思を見せたのが、将来第5代IOC会長となるアメリカのブランデージだった。

ブランデージは、ユダヤ人排斥運動が続く場合、第11回ベルリンオリンピックはローマまたは東京で行うこととなるかもしれないと、開催県の奪還を示唆した。日本にとってユダヤ排斥はそもそも賛同しえないのであったが、このユダヤ人排斥運動が日本にとってのオリンピック開催の可能性を高めたのだった。

【筆者のコメント】
当時のヒトラー政権は独裁であり、世界的に見てもまれな政治が行われていました。その中で、ブランデージ氏の発言は信義に即したものであり、また、東京招致の期待が高まるものでした。

進む大会準備と、広がっていく日華間の戦火
金栗四三達のオリンピックの準備は着々と進んで行った。駒沢に建設予定のオリンピック総合競技場の計画、宣伝ポスターも、英語、フランス語、ドイツ語に翻訳され印刷、海外へと発送された。開会式にオリンピック聖歌を歌う、合唱団も組織された。

全ては順調に進んでいるように見えた。しかし、日本と中国との関係性はどんどん悪化し、日華事変は国際問題に発展した。平和を重んじるIOCでも、その話題が取り上げられ、昭和13年に行われたカイロでの総会では、各国からの問責があった。

しかし、IOCのラツール会長、エドストレーム副会長、ブランデージ実行委員らの口添えのおかげで、「オリンピックは政治に左右されず開催される」との意思が貫かれ、かろうじて、東京大会決定取り消しは免れることとなった。

【筆者のコメント】
海外に対しての準備も進み、東京大会開催まであと少しというところまで来て戦火が強くなってきました。この段階では大会役員たちの働きによって東京大会開催予定は存続していました。

世界中で広まっていく東京大会のボイコット運動

1938年5月16日陸相杉山元は国家総動員会議にて国家総戦力の段階に入ったとして、国を挙げての総力戦を宣言した。同時に、中国では日本軍の進軍が進んでいた。オリンピックについては開催の方向で進められていたが、海外ではボイコット運動が広がっていった。

IOC会長のラトゥールは、当時の状況を踏まえ、ベルギー駐在他紙である来栖三郎にこう伝えている。「この状況下では各国や国際競技連盟は東京開催に反対、参加も取りやめるはずである。この対応では、東京大会は失敗に終わってしまうのは確実である。」と。

ラトゥールだけではない、スウェーデン、スイス、更には親日的であったアメリカ、アルゼンチン、チェコスロバキアと、東京大会ボイコットの運動が拡大していったのである。すでに日本は、最終的な決断を迫られることとなった。

【筆者のコメント】
これまで味方してくれていたアメリカまでもがボイコットの可能性を示唆し開催反対を唱えました。大会返上の時が刻一刻と迫っていったのですね。

政府による閣議決定と組織委員会への通牒

厚生省による第12回オリンピック東京大会の返上決定を受けて、7月15日、政府は閣議決定で最終的な返上を決断した。その上で、組織委員会副会長下村宏、事務総長永井松三、東京市長小橋一太に対し、第三者的立場からの意見として大会の中止勧告を行った。

翌日16日には東京市会オリンピック委員会では、政府からの中止勧告についての議論が交わされた。委員である馬越旺助は、規模を縮小してでも開催すべきだと最後まで戦ったが、小橋は「中止は国策である以上、大会を取りやめなければならない」と、勧告の受け入れを決定した。

組織委員会は第28回総会を開いたうえで、全会一致にて第12回オリンピック東京大会をIOCに返上することを決議した。その旨をラトゥール会長、そしてIOC本部へと報告した。これに続き、札幌オリンピック実行委員会も大会中止を決定した。

【筆者のコメント】
政府の勧告を受けて、ついに組織委員会による東京大会の返上が決定しました。一部では失望する声が上がりましたが、国際的に見るとこのタイミングでの返上決定は時勢に合致するものだったといえますね。

政府主導による大会返上の流れが決まる

IOC委員である副島道正は、政府に対してオリンピックの中止決定を求めた。通常であれば、大会業務を引き受ける組織委員会がオリンピックの中止を決定するのであるが、これを構成する東京市は、今もなお大会開催に力を入れていたのだ。

しかし、組織委員会に任せておくと、いつまでたっても返上の返事はない。これでは別国に開催権を譲ったところでその準備ができず第12回オリンピックが開催不能となってしまう。これでは、返上以上にオリンピック史上における黒歴史ができてしまう。

そこで、副島は政府主導の大会返上を迫ったのだった。あくまでも非常手段であるが、当時の状況では仕方がないことであった。そして、オリンピック業務を所管する厚生省は大会中止に向けて議論を進め、万国博覧会中止と共に働きかけていくのだった。

【筆者のコメント】
これ以上返上のタイミングが遅れると、別の開催地への影響が大きくなり開催できなくなる懸念がありました。それを受けて副島氏は苦し紛れながら、政府へと返上を願い出たわけですね。

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