おしんモデルは丸山静江が実話で静岡?スーパーヤオハン?加賀屋?

おしん あらすじ 簡単に?46週目「恩返し」ストーリーキャストネタバレ朝ドラ  再放送再起編 おしん

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朝ドラの「おしん」は、子役の小林綾子さんの迫真の演技が好評となり、世界70か国で放送されました。

橋田壽賀子さんによる脚本でドラマ化されましたが、そのモデルとなった人についてまとめました。

おしんモデル?

「おしん」を書く切っ掛けになったのは、1979年に橋田壽賀子さんへ寄せられた1通の手紙からでした。

「主婦と生活」1984年1月号に、脚本の橋田壽賀子と、おしんのモデルとなった丸山静枝さん、佐瀬恭子さんらとの対談が掲載されています。

それは、明治生まれの静岡県榛原郡川根本町出身の丸山静枝さんが、人に言えない過去を綴ったものでした。

子守り奉公したり、髪結いで出髪をしてお金を稼ぐといった内容を、丸山静江さんの次女の千鶴子さんが代筆し、橋田壽賀子さんが当時「主婦と生活」誌で連載していた「母たちの遺産」に送ったのです。(現在、Amazonでは、「母たちの遺産 橋田壽賀子」は、古書扱いになっています。)

「母たちの遺産 橋田壽賀子」を読んだのですが、管理人は、てっきり奉公に行って、やがて結婚して商売でうまくいった人くらいなのだろうと思っていたのですが、丸山さんの手記を読むと、ほとんど「おしん」の話しです。

脱走兵の俊作兄ちゃんは、橋田壽賀子さんの創作だと思いますが、そのモデルになった「茂助兄」と言う人がいました。

水天宮近くのレストランの女給のところへ出髪をしていた時、「じいや」つきの越後の名家の男性を紹介され一緒になり、神田の岩本町で生活を始めます。

近所のヤクザに「両親のいないかわいそうな子がいるから50円で買わないか」と言われ、会ったのが9歳の「せつ子ちゃん」

夫のラシャがさばけず、巣鴨の露店の縁日で売ろうとしますが、仁義を切ることを知らず、ヤクザに教えてもらいます。

その辺の話しなど手記の方が生々しいですが、朝ドラ向けにすっきりとした内容にまとめられたと思います。

佐賀編は、千葉県の佐藤恭子さんの話しがもとになっていると思いますが、現実は、もっとシビアな印象を受けました。

ただ、「母たちの遺産」は、明治・大正生まれの人の話しをもとにしているので、価値観がそぐわず、読んで失敗だったと思う人もいるかもしれません。

また、「おしん―NHKドラマ・ガイド 朝の連続テレビ小説 (1983年)」では、橋田壽賀子さんは「モデルはいない」としています。

おしん―NHKドラマ・ガイド 朝の連続テレビ小説 (1983年)


いろいろな人の話を聞いて、それを総合し、”おしん”を育て書いたのです。

そこには、橋田壽賀子さんのお母さんのイメージもありました。

いろんな人の話を聞いて、いちばん印象に残ったのが、いつも働いていたということです。

それは、働くけれども、遊んではおらず、文句も言いません。

そんな思いが橋田壽賀子さんの中にはありましたが、お母さんが生きている時は、あまりお母さんのことが好きではなかったそうです。

ところが、その母のキライだったところが、今から思うと、なつかしいことがいっぱいあり、母を嫌って親不孝をしたので、せめていいところを見直そうと、そういう鎮魂歌であると語っているのです。

美化して考えるということもありますが、橋田壽賀子さんが一番反抗していたころの、お母さんと同じくらいの年になったとき、自分の顔がお母さんに似ていると気づきます。

橋田壽賀子さんは、1925年(大正14年)5月10日に、日本統治時代の京城府(現:大韓民国・ソウル)で生まれた日本人です。

9年間を朝鮮で過ごした後、大阪府堺市西区で育ちます。

大阪府立堺高等女學校(現:大阪府立泉陽高等学校)に通っていたころ、橋田さんは、親に内緒で大阪から、日本女子大学文学部国文学科を受けて、反対されても強引に東京へ出てきたころの母の顔でした。

橋田さんは一人娘なので、女学校を出たら早く婿をとって、孫の顔を見せて欲しいとお母さんは考えていました。

橋田さんは、このまま結婚させられるのは嫌だと、逃げることばかり考えていました。

ところが、今娘がいたら絶対に東京へ行かせません。

東京へ行かせるぐらいなら、娘を殺して、私も死ぬって言う気持ちです。

結局、橋田壽賀子さんの母は、あきらめて女子大の寮へ荷物を作ってくれました。

夜トイレに起きると、母がまだ起きていて、橋田さんのために寝巻きを縫っています。

その背中を見ていると悲しくて、もうやめようかと思いました。

だけど明くる日になると、「お前やっぱり私を置いてくんだ」みたいなことを言われると「何だ」ということになってしまう。

それでここで折れたら最後だと思うから頑張ったけれど、それが母親の悲しい愛情だったと思えてきて、それでこういうのも書こうと思ったそうです。

おしんという名前は「信じる、信念、真、心、芯、辛抱、新」などの「しん」とされており、「日本人は豊かにはなったが、引き換えに様々な”しん”を忘れてしまったのではないかと思ってつけられました。

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丸山静江が実話で静岡?

「おしん」の元となった丸山さんのプロフィールをご紹介します。

丸山静江(まるやま しずえ)

1906年(明治39年)頃に生れ、ちょうどドラマが終わった1984年にお亡くなりになられています。

出身地:静岡県榛原郡生まれ。
幼くして子守奉公に出ます。

ドラマで、奉公に出るためおしんが最上川を筏で下るシーンがありますが、丸山さんも榛原郡金谷へと奉公に出るため大井川を筏で下っています。

その後上京し、髪結いで成功。
その後、御前崎市で民宿「丸山」を創業し経営します。

丸山さんは、泣きながらドラマを見ていたそうです。

民宿丸山

おしんモデルは丸山静江が実話で静岡?スーパーヤオハン?加賀屋?

引用元:https://www.city.omaezaki.shizuoka.jp/kanko/stay.html

静岡県御前崎市佐倉 民宿 丸山

開業:昭和50年
客室:30部屋
収容:50名
料金:5,000円~
駐車:100台
住所:御前崎市佐倉1157-3
電話番号:0537-86-5988

おしんモデルはスーパーヤオハン?

主人公のモデルについては、誤報や誤解も多く、「ダイエーの中内功」や「ヤオハンの和田カツ」ではとウワサがありました。

加賀屋?

加賀屋は、酒田市にある酒田を代表する廻船問屋旧鐙屋(きゅうあぶみや)をイメージしたといわれています。

おしん年表

明治34年春に父作造、母ふじの三女 として、山形県の最上川上流の寒村で生まれる。

明治40年6歳の春、最上川下流の材木問屋へ米一俵と引き換えに奉公に行きます。
冬、材木問屋を飛び出し、生き倒れになったところ、猟師の俊作に救われ、読み書き算数を教わります。

明治41年7歳、実家に戻りますが、秋に再び米と引き換えに酒田の米問屋加賀屋に奉公へ行きます。

大正5年15歳、春、加賀屋の奉公も8年目を迎え、女中頭となります。憲兵に追われる高倉浩太と知り合います。

恋心を抱きますが、逃亡する高倉を追って加賀屋の娘加代も出奔。おしんは加賀屋から暇をもらいます。姉のはるが病死し、上京します。浅草寺の近くの髪結い長谷川たかの弟子となります。

大正7年17歳、洋髪の出髪に出ます。その出先のカフェで加代と再会します。加賀屋の次女小夜の死で、加代を酒田に強引に帰します。 高倉浩太との束の間の再会。

大正8年18歳、洋髪の出髪好評。下宿に一人住まいします。羅紗問屋を経営する田倉竜三に見初められます。

大正9年19歳、竜三の母が上京し結婚に反対。過労のために心臓脚気で倒れます。竜三の真心を知り、結婚を決めます。

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コメント

  1. きよみ より:

    おしん年表の5段落目にある「建ぺい」とは「憲兵」のことではありませんか?違っていましたら失礼なことを書いて申し訳ありません。

    • 管理人 より:

      きよみ様

      コメントいただきまして、どうもありがとうございます。

      >おしん年表の5段落目にある「建ぺい」とは「憲兵」
      仰る通りでございます。

      ご指摘いただきまして、どうもありがとうございました。

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