いだてんあらすじ17話感想!綾瀬はるかスヤ妊娠!明治神宮にスタジアムネタバレ!5月5日

いだてん おりん役モデル実在?若い頃の女優夏帆(かほ)年齢や結婚? いだてん

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2019年5月5日(日)

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あらすじ

戦争でベルリンオリンピックの開催中止が決定し、四三(中村勘九郎)は激しく落ち込みます。

熊本からやって来た妻のスヤ(綾瀬はるか)が四三の無念を受け止めます。

夫婦として共に痛みを分かち合い、スヤの愛を力に四三は再び走りだします。

四三の再起に刺激を受けた治五郎(役所広司)は明治神宮にスタジアムを作る目標を立てます。

四三と治五郎は東海道五十三次を全国の健脚たちと走るレースを思いつきます。

これが「駅伝」誕生の瞬間でした。

参考:Yahoo!テレビ

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感想

金栗四三 箱根駅伝

やじきた道中から、箱根駅伝という流れが面白いです。

今では、当たり前のような存在の駅伝ですが、これを創設したのが金栗四三さんだったんですね。

ただ、一人で走っていて、タイムだけを目標に走るよりも、やはり仲間がいるからこそ、面白みもあります。

孤独な闘いから、チームプレーとは、世界を見た四三さんだから、思いついたのでしょう。

そして、スヤさんの嫁としての存在が、だんだんと発揮されてきました。

しばらくは、単身赴任状態で、気の毒に思っていましたけれど、寄り添って生きていけて良かった。

コラム

体協代表、岸清一の説得に回った下村博と嘉納治五郎
日本スポーツ界から招致への賛同を得るには、大日本体育協会の第2代目会長である岸清一の返事がどうしても必要であった。ところが、岸はかたくなに招致運動を反対する。そこで永田は岸とつながりのある朝日新聞社副社長の下村博へ説得を頼んだのだ。

下村は、体協第1代目会長であった嘉納治五郎に相談、岸への説得協力を依頼した。オリンピック計画に好意的であった嘉納はこれに同意、下村と共に岸の説得へ名乗り出たのである。1931年1月末、下村は岸と嘉納を交えて懇談する。

夜11時を過ぎるまで話し合いは続いた。当初招致に反対していた岸は下村によるオリンピック開催の利点とともに、嘉納の口添えが続いたのである。結果として岸はオリンピック大会東京招致に対し重い腰を上げたのだった。

【筆者のコメント】
下村氏は、歌人としても有名であり永田氏との親交も深い存在でした。信頼でき、権威もある下村氏に岸氏の説得を依頼したことで、ようやく岸の賛同を得ることができたのですね。
対立する政府内での開催意思、可能性はあるのか?

これまで東京招致、そして開催に対して全力を投じていたIOC委員の副島道正は、日中戦争の最中、その心を二転三転させる。しかし、国家総動員計画が決定され、現実に大会開催が危ぶまれる中、政府の協力がない場合、大会返上もやむなしと考えるに至った。

副島は、近衛文麿首相に対して、開催援助に同意しないのであれば、直ちに中止を下命すべきと申し出た。この問いかけに対し、官僚たちは返上論を支持した。しかし、文相の荒木貞夫は唯一開催論を唱えた。それは対外的な国家威信に基づく理由からだった。

開催が決定していないならまだしも、すでに決定している大会を返上するとあれば、日本は世界各国からの信頼を著しく損なってしまうという理由だった。この流れを受け、副島は腹を決め、政府に対し組織委員会に大会中止の指示を求めたのである。

【筆者のコメント】
国際情勢が荒ぶる中で政府の意見も返上へとまとまってきました。その結果、これまで開催に動いてきた副島氏は、返上もやむを得ないと決断に至りました。
大きくなる壁 準備委員会メンバーに見えた東京市と体協との軋轢?

東京大会開催を4年後に控えた1936年、具体的な競技施設建設や道路整備などの計画が立てられた。実際に4年で建設できるのか不安視する声もあったが、東京市長牛塚虎太郎は、実現する意欲に満ち溢れていた。そこで必要となったのが大会組織委員会の結成だ。

組織委員会の結成に備えて、規約や構成方法を取り決める準備委員会がまず検討された。メンバー選定は、大日本体育協会が行った。そもそもIOCは開催国のNOCに業務を委任、NOCが組織委員会を結成することとなっていた。

NOCは体協が業務を行っていたため、メンバー選定も体協が行ったのだ。しかし28人の準備委員の中で東京市からの選出はわずか1人であった。準備に注力しようと考えていた市長牛塚は、東京市の意見が通りにくい構成に強く反発したのだった。

【筆者のコメント】
オリンピック東京招致を言い出したのは前市長の永田氏でした。そのため、この意を引き継いだ牛塚氏は準備にかける意欲が旺盛で組織委員会での東京市のメンバーを増やしたかったのでしょう。
大会開催危ぶまれる、日中戦争の始まり
東京大会の準備が進められる中、国際的な戦火が問題となり始めていた。そう、日中問題である。1937年7月7日、北京近くの盧溝橋にて数発の銃声が聞こえ、日本兵がいなくなる事件が勃発した。いわゆる盧溝橋事件である。

日本兵は見つかったものの、このタイミングで連隊長であった牟田口廉也大佐は、盧溝橋へ兵を派遣する。事件の2日後に停戦が決まったのであるが、陸軍、政府による中国への征服欲は強く、内地、朝鮮、そして満州から華北に対しての派兵が決まった。

この派兵は、中国との間に決定的な溝を作り、北京、天津、そして上海へと日中間の争いは激化していった。いわゆる日中戦争の始まりであり、その後8年間にわたり、日本と中国との対立は続くこととなるのである。そして、この日中戦争が、東京大会開催に多分に影響することとなった。

【筆者のコメント】
政府や軍としては、当初、日中戦争が長期に続くものではなく、簡単に屈服するととらえていたようです。そのため、当初はオリンピックにも影響はないものと考えられていました。
大会準備とマラソン指導、充実した金栗の上京生活

上京した金栗四三は、十文字女学校で教師としての職務と共に、オリンピックの準備にあたった、そして、自分の後継者を作るように東京大会出場を予定しているマラソン選手たちへの指導も行っていった。まさに、毎日が充実していた。

そして、妻スヤも上京、それまで一人だった生活も、妻1人子ども6人の大所帯になり、まさにめまぐるしい変化を遂げた。しかし、そんな賑やかな生活にも陰りが近づいてくる。昭和12年7月に起こった盧溝橋事件が国際問題に及んだのだ。

日本と中国との関係性はどんどん悪化し、果てには日華事変にまで進展してしまった。大会へ向け準備を進める中で、国際的な大会は中止すべきとの意見も出てきたのである。これに対し、政府は戦火を大きくしない方針であり、大会準備も進められていった。

【筆者のコメント】
1人で上京して日々東京大会の準備に明け暮れていた金栗氏でしたが、家族7人の上京で一気に賑やかな生活となりました。家族がいると、仕事にも力が入ったでしょうね。

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