いだてん18話出演者あらすじ感想!金栗四三長男正明スヤ出産!5月12日

いだてん おりん役モデル実在?若い頃の女優夏帆(かほ)年齢や結婚? いだてん

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2019年5月12日(日)

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あらすじ

東海道駅伝を成功させた四三さん(中村勘九郎)はますます駅伝にのめりこみ、五輪開催の見通しのたたない悔しさをぶつけます。

二階堂トクヨ(寺島しのぶ)がイギリスから女性が自由に体を動かせるチュニックを持ち帰ると、身重のスヤやシマ(杉咲花)が目を輝かせます。

同じく長旅から帰ってきた孝蔵(森山未來)は、美川(勝地涼)と小梅(橋本愛)の起こしたトラブルに巻き込まれていました。清さん(峯田和伸)が一肌脱ぐのですが―。

参考:Yahoo!テレビ

いだてん18話出演者

中村勘九郎、綾瀬はるか、杉咲花、永山絢斗、勝地涼、満島真之介、森山未來、神木隆之介、橋本愛、荒川良々、峯田和伸、川栄李奈、池波志乃、小泉今日子、杉本哲太、中村獅童、三宅弘城、古舘寛治、永島敏行、岩松了、寺島しのぶ、大竹しのぶ、役所広司

【噺・出演】ビートたけし

金栗四三長男正明スヤ出産!

ようやく金栗四三の息子正明が誕生しますが、スヤさんとの間には子供6人と孫10人がいます。

6人の子供のうち、政子さんと蔵土スミ子さん以外は、わかりません。

現在、蔵土スミ子さんの孫であり、金栗四三さんにとってひ孫になる蔵土義明さんが知られています。

感想

スニーカーもどき
播磨屋の辛作が、スニーカーもどきの足袋を作っていました。

足袋では、ダメなんですか?

別にスニーカーのようなヒモで調整する必要ってあるのかな?と疑問でしたが、四三さんのオーダーだったのですね。

女子の体育教育
イギリスに3年間留学した、二階堂トクは、日本の女子の体育教育を嘆いていました。

和装には7つの罪があると言います。

胸は十文字でしめつけられ、腰はひもまみれ。

行燈包みのだらしない下半身。

家事をやれば、そでは水浸し。

たすきをかければ、猫背。

腕を上げれば、脇が丸見え!

帯は、腹をしめつけるから、深い呼吸ができないから、早死にするものが多いと、チュニックを播磨屋に特注して、生徒に着せ、授業を行います。

二階堂は「月のしずくのように」と声をかけ、今の水準を考えると、体育と言うより、優雅なお遊戯にしか見えません。

おまけに二階堂は、永井先生から教わったスウェーデン式は古いので、女子の手で、優雅なるダンスを学ぶというのです!

永井先生の、あっけにとられた表情、笑っちゃいます。

スヤさん出産
四三さんと別居状態ですが、ちゃんと四三さんは身重のスヤさんを思って、安産のお守りを用意してくれていました。

ささやかですが、うれしいですね。

そして大正8年4月28日、無事に男の子の正明くんが誕生します。

可児先生豹変
大森先生亡きあと、可児先生がアメリカへ2年行きますが、いくらなんでも大正時代に、あのサングラスに、ひらひらのブラウスは、時代が違うと思うのだけど、大森先生もどきになった可児先生が、面白かったです。

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コラム

大震災からの復興と東京大会

1923年9月1日11時58分、秋風が吹きぬける中、その事件は起きた。そう、関東大震災だ。マグニチュード7.9に及ぶ大地震は、東京の都心部をはじめ、関東地方の至る所に爪痕を残した。各所で火事が起き、街中は騒然とした。

当時の状況をテレビやメディアなどで目にしたことがあるであろう。その惨事から立ち上がるように、市民たちは復興へと乗り出した。当時、東京市長だった永田秀次郎は市長室で市会議員との接見中であった。地震が落ち着くと、永田は土地区画整理などの復興計画を進めていった。

しかし、震災から1年後の1924年9月、永田は東京市の電気局長の人事問題に絡んで、東京市との間に壁ができてしまい、辞任に追い込まれる。永田が主導を握った計画は進められ、東京は急速に復興を遂げていったのだ。その6年後、永田は市長に返り咲き都を盛り上げる計画としてオリンピック招致を行うこととなる。

【筆者のコメント】
関東大震災は、未曽有の災害として取り上げられるように、首都を壊滅状態に追い込みました。その復興途中でのオリンピック招致に人々は喜んだことでしょうね。

冬季オリンピックも日本で!決定した札幌大会

現在、夏季オリンピックと冬季オリンピックは年度をずらして開催されているが、当時は、同一年度に行われていた。また、オリンピック憲章によれば、「夏季開催国が冬季も虚構できる保証があれば冬季についても優先的な開催権がある」との規定があった。

そこで日本は、その開催地として札幌を挙げ、IOC委員によって冬季の開催地を札幌と定めた。東京大会だけでなく、同一年度に札幌大会も行うことができるとあっては、日本の外交的な面でもより向上できると踏んだのである。

東京大会について各国から準備不足と指摘され不安の念を抱かれていた日本であるが、この名誉を挽回するには、東京オリンピック、そして札幌オリンピックの成功が第1条件となっていた。副島委員は、ワルシャワ総会を終えて、国民は必至の努力をしなければならないと述べている。

【筆者のコメント】
建設地が決まらないなど、日本の対応の遅さに各国はいらだっていました。そんな中、冬季オリンピックの開催地が札幌と決まったのは日本にとって大きな収穫になったようです。

東京36、ヘルシンキ27、9票差をつけての開催決定
日本のIOC委員嘉納の予想によれば日本の勝利であろうと考えられていたものの、その差は6票くらいと想定されていた。しかしながら、会議3日目にあたる1936年7月31日に行われたIOC委員の投票で、大差をつけての結果が出た。

東京36票、ヘルシンキ27票と、なんと9票も差をつけての東京勝利が決定した。とはいえ、不安材料が多い中、日本が開催権を勝ち得たのは単に招致グループの活動が幸いしただけではない。ヒトラーの力、そして、ラトゥールの力が加わっていたのだ。
 
票の内訳は小国がヘルシンキへ、アメリカやイギリス、ドイツ、そしてイタリアなどの大国は東京へと投票していた。特にイタリアは、日独伊の協力体制を図っていたことからも日本の支持に回った。ふたを開けてみれば日本は大差で勝ったのである。

【筆者のコメント】
投票直前まで不安視されていた開催地招致ですが、結果は9票もの大差をつけての日本の勝利でした。これまでの招致活動がやっと実ったのですね。
東京オリンピック招致へ!エドストロームの発言に見る可能性

学会とスポーツ界を兼任する著名人は日本人だけでなく世界にも存在する。その一人が、ジークフリード・エドストロームだ。エドストロームは、電気工学の専門家であっただけでなく、国際陸上競技連盟の会長、さらにはIOC委員も務めていた。

日本学生陸上競技連合の会長であった山本忠興は、エドストロームが国際動力会議のために来日した際行った「国際オリムピック協議について」という講演に参加し、談笑した。その中で山本はエドストロームに対し、日本のオリンピック開催の可能性を問うた。

エドストロームは、この質問に対し、「不可能ではないが、その準備として開催希望都市がIOCに名乗りを挙げなければならない」という旨を説いた。オリンピックの日本招致を志していた山本はこの言葉に一筋の希望を持ったのである。

【筆者のコメント】
エドストローム氏と山本氏は電気工学界の研究者として面識があったそうです。二人の談話は、電気工学ではなくオリンピック話に盛り上がったそうですよ。

東京かヘルシンキか、予想された接戦

ローマが立候補を辞退したものの、イギリスが名乗りを上げたことで第12回オリンピック大会は激戦になるかと思われた。しかしながら、開催地決定のIOCベルリン総会が行われる直前、イギリスのIOC委員ロード・アバーデアは立候補を撤回した。

イギリスは1944年の招致国として改めて申し込むこととなったのだ。残すはヘルシンキであった。フィンランド側はもちろん、ヘルシンキの確定を有力視していた。というのも国際情勢的な面で、日本は国際連盟を脱退しており、国際的に不利だったからだ。

さらに、国際航路がなかったことから、日本へ出向くのは長期にわたる船旅だった。それを考えると日本にとってポジティブな材料は乏しかったのである。日本よりもフィンランド、ヘルシンキの方が優勢に思われたのだった。

【筆者のコメント】
オリンピックは世界的な大会である以上国際連盟を脱退している日本は不利に働いてしまいます。その反面フィンランドは欧州にあり移動も容易に行えます。東京支持者が多い中でこのハンデは大きいようにも思えますね。

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