阿部サダヲいだてん原勇弥田畑政治役が似てる?身長や経歴?年齢は?

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大河ドラマ「いだてん」では、6月30日放送から、中村勘九郎さんの主役から交代になります。

阿部サダヲ(49歳)が演じる後半の主人公で1964年東京五輪誘致の立役者と言われた、田畑政治(まさじ)の学生時代の役を原勇弥さんが演じるそうです。

なんとなく、阿部サダヲさんに似ています。

どんな人なのか、まとめました。

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阿部サダヲいだてん原勇弥田畑政治役が似てる?

子役は良くありますが、青年役は、あまりないので貴重です。

これ、結構阿部サダヲさんな感じがしますが、中学生のころから、阿部サダヲさんのファンなんだそうです。

阿部サダヲいだてん原勇弥田畑政治役の身長や経歴?

原 勇弥(はら ゆうや)

俳優、ヌンチャクパフォーマー。

出身地:長野県木曽町

出身学校:長野県木曽山林高等学校(現長野県木曽青峰高等学校)インテリア科、日活芸術学院卒業。

所属事務所:オリオンズベルト所属。

身長:155cm

2008年、養成所時代にドラマ「トンスラ」食人族役でデビューを果たします。

2010年、舞台版「イナズマイレブン」少林寺歩役で本格的にデビュー。

舞台「おそ松さん」で演じたハタ坊のおかっぱ頭が気に入り、今回もそのまま変えないそうです。

映画「進撃の巨人」では、人食い巨人を演じるなど特異な役が多いです。

阿部サダヲいだてん原勇弥の年齢は?

阿部サダヲさんは、現在、49歳です。

原勇弥さんは、1989年10月30日生まれで、現在、29歳です。

さすがに、49歳の阿部サダヲさんが、青年役を演ずるのは無理があるみたいですね。

コラム

反日感情の中決まった東京、札幌両大会の開催

1938年3月10日カイロにてIOC総会が行われた。この中で、ラトゥール会長は、アジアで初となる第12回オリンピックの開催意義を唱えた。即ち、アジアで開催された初めて世界的な大会となるのである。この際、問題となっていた日本という交戦国における大会開催については言及しなかった。

ところで、競技場の建設計画が遅延するなど、準備が遅れている点につき、各国委員からの疑問が湧き上がっていた。これに対しては日本側のオリンピック委員会の責任において、大会を開催するか返上するか決するという結論が出された。

そして、総会では、最終的に夏季は東京、冬季は札幌での開催が承認された。各国が反日感情を見せる中で最終決定がなされたのは、30年にわたりIOC活動に注力してきた嘉納治五郎への感謝の気持ちが込められていたという説もある。

【筆者のコメント】
アメリカ以外の国々は、日本の準備が遅れていること、戦時であることに懸念を抱いていました。しかし、最終的には東京、札幌での開催が決まり、嘉納は安堵したようです。

副島と杉村、ムッソリーニに辞退を再度懇願する

オスロ総会において再度イタリアの立候補が申し立てられた、それに危惧を感じた日本代表の杉村と副島は再びムッソリーニに懇願する。イタリアのIOC委員であるボナコッサにローマ辞退を下命してほしいと願い出たのだ。

2月27日、ムッソリーニからオスロ駐在中のイタリア公使あてに回答が届いた。「1940年の大会を日本のために放棄する。イタリア委員は杉村大使とともに対応にあたれ」というものだった。前回は1944年の日本の協力を条件に付していたのだが、今回は条件もない下命だった。

これを受け、ファシスト党員であったボナコッサはムッソリーニの意に従うとして、イタリア委員の3票を日本に投ずる旨を約束した。しかし、投票は秘密投票であったため、杉村はローマの辞退を発する声明を要求し、イタリアもこれに応じることとなった。

【筆者のコメント】
一度は辞退を約束したムッソリーニは、日本の状況を鑑み、再度の辞退要請に応じてくれました。これで、残すライバルはフィンランドのみとなりました。

平生釟三郎が語った国民の覚悟とは?
1936年9月3日、文相平生釟三郎(ひらお はちさぶろう)は国民に対し、「東京大会が開催されるにあたっての覚悟」についてラジオを通じて演説した。内容は、1.日本国民における国家観念と武士道精神を明瞭化して世界における日本の地位を認識すること。

2.お祭り騒ぎではなく体育競技の精神を重んじること、3.古くから伝わる武士道の精神は国民が皇国のために犠牲になることをいとわない性質であるから、これを世界の指導者として向上させるべきであること、を説くものであった。

この演説は、オリンピックに沸き立つ国民の気持ちを締め付けると同時に、武士道の精神を重んじて、国家に対する忠誠を誓わせたのである。オリンピックが持っている国際性や中立性といった信念とは真逆の内容であった。

【筆者のコメント】
軍国主義に傾いてきた国内は、どちらかと言えば世論は落ち込んでいました。その中でのオリンピック開催は国民の心を明るくするものでしたが、その浮足立つ様子を戒めたのが平生氏の演説だったのですね。
満州国は東京大会に反対していた

満州事変を機に、大陸側で成立していた満州国であるが、日本は満州国の独立に向けて常に動いてきた。そのため、オリンピック東京大会が開かれるのであれば、満州国の参加も期待されたのである。しかし、当の満州国の国民体育同志会代表であった奥勝久は、東京大会招致に反対の意向を述べている。

そもそも、オリンピック憲章に寄れば、国際連盟が承認していない国は参加できない。満州国は国際連盟に承認されていないことから、大会参加ができないこととなる。これはつまり、満州国という存在自体が否認されることとなるという理由だった。

そして、日本は満州を参加させたければ方策を練るべきであり、それができないのであれば、招致を断念すべきである旨が述べられた。この問題に対し、ラトゥール会長は、機会があれば満州国を訪れるとの意向を表明していた。

【筆者のコメント】
日本にとって満州国の独立を促したいところでしたが、現実には、国際連盟という壁が立ちはだかりました。しかし、ラトゥール会長は前向きな態度を示していたのですね。
夢のメダルに終わった村社講平

東京開催が決定した後、戦時下ではあったものの、選手たちはメダルを目指して練習を続けた。ベルリンオリンピックの陸上長距離で活躍した村社講平(むらこそ こうへい)も、その一人だ。同大会では4位という結果に終わったのだが、スタンドからは「ヤパン!ムラコソ!」という声援が送られた。

村社の人気は海外でも絶賛されたものの、金メダルを目指していた村社自身は涙をのんだのである。その後、ベルリン大会以降、後の大会でメダルを手にするために、ひたすら練習を積んだ。そこへ東京大会開催が決まったのだ。村社は全力で突き進んでいた。

しかし、日中戦争で練習環境は悪化していく。国民が所有する用品においても統制がかけられ物資を供出しなければいけなくなった。長距離走者にとって必須ともいえるスパイクでさえその部品に鉄鋼が使われていることから、製作が中止されたのだ。その日から1か月後、正式な返上が決まった。村社の金メダルは夢に終わってしまったのであった。

【筆者のコメント】
村社氏のベルリンでの走りは、長身で体格の良いフィンランドの選手らに続く4位入賞でした。東京大会では彼らを越す走りを見せる!その勢いで練習に向かっていたそうです。

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