三遊亭朝太いだてん経歴や画像?孝蔵役の森山未來が金原亭馬生と古今亭志ん朝

いだてん ネタバレ 38話(10/6)古今亭志ん生ビートたけし脳出血「長いお別れ」 いだてん

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5月19日放送のNHK大河ドラマ「いだてん」19話で、“昭和の大名人”落語家の古今亭志ん生(ビートたけし)の長男の金原亭馬生、次男の古今亭朝太の2役を俳優の森山未來(34)さんが演じましたが、小気味よく演じていて、役に乗っていて面白かったですね。

役柄を演じただけではなく、良い芸を見させてもらったと思います。

実は、森山さんは若き日の志ん生・美濃部孝蔵を演じていますが、19話では出番がありませんでした。

脚本で一番難しかったのが、志ん生の2人の息子で、弟子である金原亭馬生と古今亭朝太(のちの志ん朝)が出てくる場面だったそうです。

孝蔵が若き志ん生ということは、志ん生の息子として顔が似ていても不思議ではありません。

しかも森山未來さんは、「たけしさんと共演するシーンがないのが寂しい」と言っていたこともあり実現したそうです。

三遊亭朝太いだてん経歴や画像?

本名:美濃部強次(みのべ きょうじ)

生年月日:1938年3月10日~2001年10月1日(63歳没)
出身地:東京都文京区

5代目志ん生の次男である3代目古今亭志ん朝が前座・二つ目時代に名乗ります。

三遊亭朝太を前座名とします。

志ん生の妻おりん役の池波志乃は姪、俳優の中尾彬は義甥になります。

強次(きょうじ)の名は、父の師匠初代柳家三語楼が出生日の陸軍記念日にちなみ名づけたとされています。

獨協高等学校でドイツ語を学び、外交官になろうと考えていましたが、志ん生から「噺家は扇子一本で偉くなれる。」と説得され1957年2月 実父5代目古今亭志ん生に入門。

落語家として初めて高級外車を持ったり、豪邸を建てたりと、当時の落語家さんにしては異色だったらしいのですが、そんな三遊亭朝太を森山さんが演じたのは当たりだったのかもしれません。

2001年 10月1日 肝臓がんにより、新宿区矢来町の自宅で死去。
10月6日13時より護国寺桂昌殿で落語協会葬として営まれた告別式には関係者、ファンなどが2500名以上が訪れました。

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コラム

無念の出場中止、日中戦争が妨げる将校らの出場

日中間での対立が進むにつれ、日本からの派兵も増していった。そこで影響を受けたのが、東京大会への出場選手の選定である。当初、馬術競技にはロサンゼルス大会で金メダリストとなった西竹一など7名の将校らが決定していた。

ところが、陸軍省は、1937年8月25日、その準備中止を決定した。この7名については大会へ向けて今後3年の綿密な訓練を行う予定であった。しかし、陸軍側としては、戦時であることを重視し、馬術の準備中止を命じたのである。

当初はオリンピックに対して協力的であった陸軍であるが、戦争の激化に伴い、オリンピックの開催反対に回ることとなった。そして、東京市、組織委員会などによる準備運動に対し、次第に干渉してくるようになったのである。

【筆者のコメント】
日中戦争によって、金メダリスト決定と目されていた西竹一やベルリン大会代表選手であった岩橋学の出場が中止されました。残念ですが、戦争を進めるためには仕方ないことだったのかもしれません。

練習ができない!国家総動員計画による選手への影響

政府が国家総動員計画を発表することで、国民の派兵に対する参加だけでなく、資材の提供をも強制的となった。その中で、駒沢への競技場の開設が難航し、結果的に計画は無くなった。さらに、オリンピック出場予定選手へもその余波が来る。

スポーツの練習用に用いるべき用具についての使用制限ができたのだ。当初は皮革の使用制限を商工省が取り決め、7月7日には省令において鋼鉄、羊毛の国内向け消費制限の強化を宣言した。つまり、日常用いていた文鎮やライター、スプーンなどにまで影響が及んだ。

さらに、スポーツ練習に欠かせない運動用具の禁止も発表された。陸上で使われるハンマーやハードル、スケート用具、更には運動用のスパイクも禁止された。これらの禁止により選手は練習できず、その意味でもオリンピックの開催が追い込まれたのである。

【筆者のコメント】
ささいな金属でさえも供出すべきという国家総動員計画は、選手たちの根本となる練習でさえも制限してしまう結果となりました。戦時下ではやむを得ない判断だったのでしょう。

ラトゥールに協力を求めた磯村英一

東京市は各国に東京招致への支持をはかるべく、IOC委員のラトゥール伯爵への働きかけを行った。ベルギーに住むラトゥールの下へ、東京市で調査課主任を行っていた磯村英一を向かわせた。磯村は土産として羽織袴と日本刀を持参して面会に臨んだ。

その席で、磯村はラトゥールに対し、日本への招待旅行を提案した。その提案にラトゥールは東京招致に対する支持を約してくれた。さらに、磯村に対し、東京招致の後押しとなるヒントを付け加えた。ヒトラーを味方につけろと言うのだ。

当時、ドイツを支配していたヒトラーはヨーロッパでは恐れられる存在であった。その彼を味方につければ東京招致は間違いないと言うのである。磯村はラトゥールの面会を終えると、早速、ヒトラーとの面会準備にこぎつけるのであった。

【筆者のコメント】
IOCにおいて強い力を持っているラトゥール氏の賛同は東京招致にとってとても大切な力となりました。彼の協力で、各国IOC委員も東京支持へと動き出したのです。
磯村英一、東京支持を求めヒトラーを訪問

ラトゥールからの進言を受け、東京市長代理の磯村英一はドイツ、ヴィルヘルムにある総統官邸へと赴いた。時の有力者アドルフ・ヒトラーに面会するためである。磯村は、東京市議、そしてドイツ駐在大使とともに面会にあたった。

ヨーロッパ中を震撼させる権力を持っている怪物ヒトラー、面会にあたって磯村は落ち着くために深呼吸を繰り返した。部屋に入ると、ヒトラーが無表情のままで、日本からの使者を迎え入れた。ヒトラーはもともと、オリンピックを嫌っていた存在である。

ところが、ベルリン大会開催に当たってはナチスドイツを主張すべく政治的戦略としてオリンピックを利用していた。磯村がヒトラーに東京招致への支持を願い出た。しかし、ほどなくヒトラーは承諾の意を示した。そして磯村はヒトラーと冷たい握手を交わすのであった。

【筆者のコメント】
当時、世界的に力を誇示していたヒトラー総帥と会うことに磯村氏はとても緊張していたようです。ヒトラーの二つ返事での承諾に、きっと心をなでおろしたことでしょう。

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