内田正練役いだてん葵揚の経歴をwiki風で!インスタグラムかっこいい

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大河ドラマ「いだてん」で、アントワープ五輪の日本初水泳オリンピック代表選手の内田正練さんを演じた葵揚さんが、かっこいいと話題です。

内田正練さん含め、どんな人なのかまとめました。

内田正練の経歴とプロフィール


明治31年(1898年)1月7日生まれ

浜松出身で、5人兄弟の次男として誕生します。

父は浜松の名家で、地元の産業を、母は女医として、浜松駅前で産婦人科を開業していました。

兄の内田千尋は、東京帝国大学で、水府流の師範でした。

その影響で、内田正練も浜一中に入学すると、水泳部や浜名湾遊泳協会で水府流の師範となります。

大正5年(1916年)北大予科に入学。

古式泳法にこだわりクロール不要論を唱える水泳協会に反発し、北海道で独自の団体作りクロール普及を唱えます。

大正9年(1920年)5月に、横浜で行われたオリンピックの予選で優勝して、日本最初のオリンピック水泳競技代表選手に選ばれました。

北大農学部卒業後は、妻子を伴い、アルゼンチンに移住して大規模農園を一時経営していました。

昭和20年(1945年)2月14日、ビルマ独立義勇軍に参加し英国からビルマ(現ミャンマー)を独立させる太平洋戦争でニューギニア島で戦死

47歳でした。

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内田正練役いだてん葵揚の経歴をwiki風で!

葵揚(Aoi Yo)
生年月日:1995年12月25日
出身地:大阪市
身長:184cm

出身学校:立教大学経済学部経済政策学科
趣味・特技 新体操、水泳、バレエ

内田正練役いだてん葵揚のインスタグラムかっこいい

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コラム

オリンピック準備委員会が示した招致への2つの方針
1959年IOCミュンヘン総会を翌年に控え、求められていたのは、日本の招致への熱意を海外諸国に広めることだった。そこで、オリンピック準備委員会は、2つの方針を打ち出した。1つ目は委員がいる現地関係者とのつながりの強化だった。

日本は、アジアにあり、欧米諸国に比べると、IOC委員との関係構築が弱い傾向にあった。そこで、1958年に開催されたアジア大会やIOC総会についての資料を、積極的に委員が属する国の関係者へと面会を通じて手渡す旨を取り決めた。

さらに、2つ目として、別都市による立候補の辞退を促す方法の模索、どのような理由から 各都市は招致運動を行っているのか、東京開催に反対する理由などの調査を行った。原因を改善することで、より一層の招致活動推進へと動いていったのだった。

【筆者のコメント】
準備委員会が、世界への個人的な関係構築を促したことで、使節団を派遣するなど、具体案が決まっていったのです。この頃には外務省も協力し、招致活動が進むようになりました。
クーベルタンにも似たブランデージ会長のアマチュア精神

第1回オリンピックが開催されたとき、その長であったクーベルタン男爵が語ったのは、スポーツマンのアマチュアリズムだった。大会開催が商業的、経済的、政治的に悪用されてはならず、祭りになってもならない、純粋なスポーツの大会なのだ。

ブランデージ会長は、その精神をのっとり、開催面でのアマチュアリズムを求めていた。5月16日に開かれた安井知事主催のガーデンパーティでは、各国オリンピック委員の代表を前に会長はオリンピックの標語やマーク、歌などの商業目的利用ができないよう国際的措置を講じることを発表した。

さらに、参加選手の写真の宣伝利用を禁止すること、IOC総会開催にあたって、東京都と日本オリンピック委員会への感謝、そして、次回ミュンヘンにて開催のIOC総会にて、1964年の開催国を決定することを発表したのだった。

【筆者のコメント】
ブランデージ氏は、東京での開催を積極的に評価していましたが、唯一交通機関の渋滞の多さを懸念していました。そこで、東京都はインフラ整備も進めていくことになります。

ブランデージIOC会長との溝を修復したフレッド和田

オリンピック招致に際して欠かせないのが各委員との親密関係だ。彼らの機嫌を損ねては、招致活動が一瞬にしてそんな中、IOC会長と日本との信頼関係に大きな溝ができる事態が起きた。1959年2月、アメリカ スコアバレーで行われたプレ・オリンピックでのことだった。

日本選手団長を務めていた木原均は訪米のタイミングに合わせシカゴでIOC会長のブランデージと会見予定だった。しかし、木原が体調を崩したため、キャンセルすることになったが、ブランデージ側にうまく伝わらず、機嫌を損ねてしまった。

そこで、間に入ったのが、フレッド和田だ。日本選手団の通訳兼世話役も行っていた和田は、ブランデージ夫人に電話をし、会見キャンセルを謝罪、理由を釈明した。夫人からっブランデージに真実が伝わり、ブランデージとの溝も埋められたのであった。

【筆者のコメント】
日米間の翻訳に際しては、どうしても意味の乖離が生じることがあります。その乖離によってブランデージ会長との関係が危うくなりましたが、その橋渡し役となったのがフレッド和田なのですね。

外務省に求められたウィーン立候補取り下げへの働きかけ
大会招致にあたり、求められたのが外務省への協力依頼だった。即ち、外交関係を改善し有力他国に立候補を取り下げてもらうことが、東京招致へと繋がる近道だったのである。そこで、日本体育協会は、藤山愛一郎外相に向けて要望書を提出した。

内容は、東京に票を集めるためには、有力都市であったオーストリア ウィーンの立候補取り下げを工作したいというものだった。冬季大会でのオーストリア インスブルックへの支持を押し出す代わりにウィーンに取り下げを求めるのだ。

委員65名のうち、過半数以上が欧州系となっている。欧州の代表でもあるウィーンが取り下げることで、東京都の得票可能性が高くなるのだ。そのため、外相による、オーストリア・オリンピック委員会の事務局長を務めるエドガー・フレンド博士に対しての働きかけが行われることとなった。

【筆者のコメント】
当時、IOC委員のほとんどが中南米、欧州におり、アジアの人数は少なくなっていました。欧州では影響力の強いウィーンへ立候補断念を働きかけることで、欧州系委員の票の流れを変える作戦に出たのですね。

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