大河ドラマ「いだてん」で、落語家の美濃部孝蔵と結婚する「おりん」の若い頃を演じるのは、女優の夏帆(かほ)さん。
いだてん おりん役モデル実在?
古今亭志ん生の妻である「おりん」の晩年を演じるのは、池波志乃さんですが、池波志乃さんの実在のおばあさんになります。
志ん生が50歳を目前にようやく売れるようになるまで、池波志乃さんのおばあさんは、長い事、才能を信じ、”なめくじ長屋”で極貧生活を支えました。
それほどまでに惚れぬいたって、スゴイですね。
【貧乏はするもんじゃありません。味わうものですな】その生き方が落語そのものと言われた五代目古今亭志ん生。父のこと、売れなかった極貧時代、なめくじ長屋の真実、関東大震災、満州慰問、息子たちのことなど…自らの人生を語り尽した一冊。(水谷) pic.twitter.com/9Z9LC4VC
— COWBOOKS (@COWBOOKS) 2012年7月20日
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偉いのは、貧乏暮らしで借金取りに追われていても、おりんは、志ん生のやりたいようにやらせ、家計を支えていましたが、出しゃばることはしません。
明治女の心意気でしょうね。
破天荒に見えても、しっかり者の奥さんの支えで、遅咲きではありますが、今となっては伝説となる落語家になれたのは、この「おりん」のおかげではないかと思います。
古今亭志ん生(ここんていしんしょう)こと、美濃部孝蔵がおりんと結婚をしたのは、1922年(大正11年)になり、孝蔵32歳、おりんは25歳です。
若い頃のおりん
池波志乃さん、おりんさんに似てますね。
池波志乃さんは美濃部りん役ですね。実際にお祖母様に似てらっしゃるので。
(写真は『びんぼう自慢』より)#いだてん pic.twitter.com/tPVAxlmqRK— k.hisadome (@HisadomeK) 2019年1月20日
若い頃の女優夏帆(かほ)年齢や結婚?
おりんの若い頃を演じるのは、女優の夏帆(かほ)さん。
生年月日:1991年6月30日(27歳)
出身地:東京都
身長:164 cm
二卵性双生児の二人姉弟の長女
夏帆さんは、以前、女性問題で話題になった俳優のA氏と結婚とまで言われていました。
良い恋愛ができると、いいですね。
まだ27歳なので、まだまだこれからだと思います。
コラム
中南米への招致に派遣された八田一朗
IOC委員の票の中で、欧州票はウィーン、ブリュッセルへと流れることが想定された。また、アメリカでもデトロイトが名乗りを上げていたため、日本は中南米への招致活動を積極的に行い、東京都への得票固めを行う必要があった。
招致使節の一人に選ばれたのが、当時アマチュアレスリング界で力をふるっていた八田一朗だ。ベネズエラの首都であるカラカスでは、アマチュアレスリング大会の開催が予定されていたため、八田の派遣は好都合だったのだ。
ペルーやチリへの支持要請も功を奏し、訪問後、東京への投票を前向きに示した。ブラジルのサントス委員は親日家でもあったため、訪日に興味を持っていた。そこで総会出席後日本へ招待する旨を提示すことで、さらに好感を得ることができたのだった。
【筆者のコメント】
当時、地理的な面や交通面からも、日本から中南米への滞在はとてつもない費用が掛かっていました。その中での日本からの使節訪問は、IOC各委員に好印象を与えることができたようです。
命をかけて行った中南米行脚―北島義彦―
アマチュアレスリングの八田一朗とともに中南米への招致施設として派遣されたのが、東京都オリンピック招致委員長だった北島義彦だ。北島は、1958年4月に胃癌が発覚、一部切除した状態であったが、熱心な中南米での招致活動を行った。
北島は招致活動を終えた後、日本に帰国し亡くなってしまったため、大会に立ち会うことはできなかったのだが、彼の精力的な活動があってこその東京大会となる。カラカスでは八田と共に、アジア大会、IOC東京総会の記録映画の上映を試みた。
ペルーでは選手派遣国への参加費の負担軽減を日本が図る旨を伝え、ロペス体育協会事務局長やIOC委員の関心を誘った。チリIOCのリベラ委員長との対話では日本経由でのミュンヘン総会への出席を希望し、これに掛かる費用負担は東京都が行うと申し入れ、その信頼を得たのであった。
【筆者のコメント】
北島氏のガンは本人に告知が行われず、体調不良が続くままに招致活動に専念されていました。彼の献身的な招致活動の結果、中南米の得票数を伸ばすことができたのですね。
「オリンピック・マーチ」を手掛けた古関裕而の活躍
東京大会の開会式の入場行進では、「オリンピック・マーチ」という曲が高らかに演奏された。この「オリンピック・マーチ」は、「日本のマーチ王」と呼ばれた古関裕而が作曲した。スポーツ関連の応援歌や行進曲といえば古関の名が上がるほどだった。
古関は早稲田大学応援歌「紺碧の空」や、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」というような学生スポーツのみならず、今も歌い継がれている大阪タイガースの歌「六甲颪」や巨人軍の歌「闘魂こめて」も作曲するほど、多くの曲を手掛けた。
また、古関の活躍は、スポーツ界の応援歌や行進曲だけではない。有名映画の主題歌や挿入歌でもその実力を発揮する。「モスラの歌」や「君の名は」、「とんがり帽子」といった有名歌はどれも彼が作曲している由縁がある。
【筆者のコメント】
オリンピック・マーチというと、今でも名曲として耳にすることがある有名な曲です。野球の応援歌などの名歌も生み出してた古関氏の業績は、マーチ界に欠かせませんね。
5つの金メダルを手にしたレスリングチームの敢闘勝利
八田一朗監督率いるレスリングチームは前回のローマ大会で予想外の負けを重ね、監督、選手一同丸刈りで日本に帰国した。東京大会へ向け、彼らは寒中水泳、電気をつけたまま眠るというような試練を課し、精神修養も行っていった。
日々続く過酷な練習で選手たちは身体、精神共に成長していったのだった。特に、フェザー級の渡辺長武は身長160センチと小柄ながら、世界チャンピオン笠原正三の指導の下、タックルに磨きをかけた。東京オリンピックまでに174連勝を重ね、渡辺は大会に臨んだ。
迎えた大会当日、渡辺につづき、フライ級の吉田義勝、バンタム級の上武洋二郎、グレコローマンスタイルの花原勉、市口政光と、5人もの金メダリストが誕生した。その時、駒沢体育館の中に、日の丸がたなびいていたという話だ。
【筆者のコメント】
普通体育館内で旗がたなびくということはありえませんよね。ではどうして、大会時に旗がたなびいていたのでしょうか。実は、通風孔の前に日の丸を掲げ、たなびくように演出されていたそうです。
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