はね駒 あらすじ(ネタバレ)最終回まで全話再放送!意味や実話なの?

はね駒 あらすじ 10話ネタバレ朝ドラ / 小野寺源造に子供!りん キャスト再放送感想 はね駒

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ドラマ「はね駒」は、1986年(昭和61年)4月7日から10月4日まで放送されたNHK朝の連続テレビ小説で第36作になります。

明治時代、女性にとって職業を自由に選べない時代でもあり、そんな中、当時としては珍し女性新聞記者として活躍することになる主人公橘りんのがんばりと心意気を描いた作品です。

あらすじは大まかに第一部の故郷編と第二部の東京編に分かれます。

「はね駒」の意味などをまとめました。

はね駒再放送

2020年3月23日(月)から再放送されますが、実は、ドラマに登場する東北女学校のモデルになった宮城女学校(現在:宮城学院女子大)の平川新さんが、主人公の生き方が東北の人々の希望になればと、2016年にNHKを訪ねて、再放送を働き掛けたのだそうです。

参照元:https://www.kahoku.co.jp/

『はね駒』感想、あらすじ、放送日

第2週「運命の出会い」

第7話 3月30日(月) 樹木希林ジュリーに乙女
第8話 3月31日(火) あっぱとっぱと白砂糖!
第9話 4月1日(水) 新之助との結納が決まる
第10話 4月2日(木) 小野寺源造に子供!りん
第11話 4月3日(金)
第12話 4月4日(土) やえ勘兵衛に結納延期を

第1週「いいなずけ」

第1話 3月23日(月) 沢田研二二本松に!麦飯
第2話 3月24日(火) あばよ!柳沢慎吾と遊郭
第3話 3月25日(水) 新之助が橘家挨拶にくる
第4話 3月26日(木) おたまちゃん糸繰工場へ
第5話 3月27日(金) 母はわかっていた嘉助が
第6話 3月28日(土) ジュリー松浪馬で美保純

はね駒 あらすじ(ネタバレ)最終回まで全話再放送!

いいなずけとの結婚を破棄し東北女学校に進学

時は明治23年の秋、福島県二本松で、祖父の徳右衛門と14歳になる橘りんが、伝統行事のちょうちん祭の見物に来ていました。

二本松は、橘りんの父方の故郷ですが、祖父の徳右衛門と祖母のことを福島県相馬に迎えるためにやって来たのです。

父の弘次郎は、戊辰戦争の時、兄と共に戦ったのですが、自分だけが生き残り、無念と恥の思いで故郷から離れ相馬に流れ着いたのです。

そこで妻となるやえと結ばれ、橘りんが生まれました。

おりんは、祭のにぎわいの中で、徳右衛門とはぐれてしまい、その上、山車の勢いではね飛ばされてしまいます。

そんなおりんをやさしく抱き起した男性が現れますが、後におりんの人生に影響を与えることになる松浪毅です。

その2日後、おりんの祖父母は、相馬に旅立ちます。

おりんには、親の決めたいいなづけがいました。

この辺りの分限者(金持ち)で、造り酒屋をしている越後屋の長男・新之助ですが、おりんが小学校の高等科を翌年卒業をしたら、祝言を挙げることになっていました。

おりんは新之助のことを嫌いではありませんでしたが、結婚する気にはなれませんでした。

ある日、橘家の隣にキリスト教の宣教師・中河鶴次と、その妻の千代が引っ越してきました。

鶴次の伝道を応援するという男が、馬に乗ってやってきますが、その男こそ、祭の時に会った松浪毅でした。

松浪は、東北にある女学校の教師で、生徒であるみどりと一緒でした。

松浪は布教活動をしていましたが「ヤソは帰れ!」と、毎日罵声を浴びせられていました。

そんな中、おりんの兄である嘉助が現れます。

嘉助は、橘家の跡取りですが、家を飛び出して横浜で暮らしていました。

突然現れた嘉助ですが、新之助から20円もの大金を借り、姿を消してしまいます。

おりんの叔父の彌七(やしち)が、源造という男を連れて橘家に訪れます。

21歳の源造は、僧侶として修行をしていましたが、彌七の手引きで寺から逃げ出し、商売を教えてもらっていました。

やがて明治24年の正月。

おりんは、高等学校の卒業を間近にし、それと同時に結婚することになるかもと大きな運命の変わるのを予感していました。

ところが、おりんは松浪にあこがれるようになっていました。

みどりの話しでは、松浪の東北女学校では、女も男と同じように、地理や歴史などが学べるというのです。

卒業が近づくころ、同級生のたまが病床の母のために薬も満足に買えず、糸くり工場へ働きに行くことになります。

そんな境遇に、おりんは、女学校へ行くことなど諦め、嫁に行くことにしようと思っていた矢先に、松浪と出会います。

松浪に「求める心を大切に、自分に正直に生きなさい」と言われたおりんは、家族の前で「お嫁に行かない!女学校へ行く!」と爆弾発言をしますが、父の弘次郎は、激しくしかりつけます。

しかし、おりんはひるむことなく、越後屋へ行くと、自分の気持ちをはっきりと伝えると、新之助の祖父の勘兵衛は、橘家へ怒鳴り込みに行きます。

弘次郎は、おりんに勘当を申し渡します。

3月になり、おりんは東北女学校の受験のため、出発する日が迫っていました。

旅立ちの日がやってきて、船着き場から、妹のおみつと母のやえに見送られ、おりんを乗せた船が水面をすべります。

東北女学校の受験のため仙台に着いたおりんは、叔父の彌七を訪ねると、そこは「日本物産・函館支店、青森出張所別店仙台出張所」と、彌七と源造の住居兼事務所でした。

翌日、おりんは受験をしますが、まったく自信が持てず、相馬に帰ると部屋に閉じこもってしまうありさまでした。

女学校からの合否がわからないまま卒業を迎え、兄のいる横浜へ行き、何か自分にできることを探そうと悲壮感に満ちていました。

そんな中、松浪が1通の封筒を手に橘家を訪れますが、それは女学校の入学通知でした!

明治24年4月、女学校に入学すると同時に寄宿舎生活が始まりました。

同室には、上級性の二宮しづ、里見なつ、水野節子。

おりんは給費生だったので、授業料や寄宿舎費を免除される代わりに、賄いや掃除の手伝いなどをしなければなりません。

間もなく1学期も終わりますが、期末試験の成績が悪く、校長から、この成績では、給費の打ち切りもあると通告されてしまいます。

教師のひとりの計らいで、夏休み中、松浪から特別に指導を受けることになります!

新学期が始まると、時間割の変更が発表されますが、英語の時間が増え、国語と漢文の時間が減ったことから、日本人なら日本の文化をしっかり学びたいといういづとなつが校長に抗議します。

この二人の行動に、おりんは衝撃を受け、自分の視野の狭さを思い知らされます。

校長は、教育方針を変えるつもりはないと、二人に退校命令をします。

しづとなつは、東北女学校を退学することになってしまいました。

二人のことを案じた松浪は、東京のミッション系の女学校に入れるようにと上京することになり、そんな松浪を、おりんは尊敬と憧れの気持ちでいました。

数日後、松浪は、しづたちの入学許可を得られたと、東京から戻って来ましたが、「あの事件は、松浪が次期校長の座を狙ったもの」とうわさになります。

松浪は、ショックと度重なる疲労で倒れてしまいます。

おりんが、松浪を看病し、なんとか健康を取り戻しますが、女学校を辞めて、イギリスへ渡ることを決意し、2学期の最後の授業が終わると学校を去りました。

明治27年、18歳のおりんは、最上級生である本科4年生になりました。

おりんは、生徒たちのリーダー的存在で、先生の信頼も厚く、卒業後は、学校に残って欲しいと言われていました。

ちょうど日清戦争のころで、兄の嘉助は、戦争錦絵を売る商売を始め、叔父の彌七は、店を源造にまかせると、志願して大陸へ渡りますが、半年後には、負傷をして戻ってきます。

東北女学校の教師として

明治29年、6月、おりんは、東北女学校の教師として教壇に立っていました。

そんなある日、三陸沖に大津波が襲います。(※1896年(明治29年)6月15日、岩手県上閉伊郡釜石町三陸沖の地震で、マグニチュード8を超えます。さらに38.2mを記録する津波が発生)

源造は、人助けのために走り回り、おりんも女学校の被災地救援隊として気仙沼に向かいます。

食糧がつきた救護所に、源造と彌七により、店の倉庫にある全ての食糧を差し入れます。

不眠不休で頑張る源造に、おりんは次第に心ひかれるようになります。

店の物をすべて救護所にまわした源造は、東京で新しい商売を一から始めようと考え、おりんに将来のことを打ち明けます。

明治29年7月、農家の吉川家に嫁いだ妹のおみつが、初産で里帰りすることになりましたが、連日、身重の体で畑仕事に追われていたため、重症の脚気と疲労から倒れてしまいます。
それでも畑仕事をしていると、産気づき出産しますが憔悴しきり短い人生を終えることになります。

弘次郎は、自分の決めた縁談で、おみつを死なせたことを悔い、自分の生き方を見つめ、家族を前に、この土地にいてもダメだから、みなで東京へ行くと、爆弾発言します。

東京編:源造との結婚

東京には将来を約束した源造がいました。

おりんの一家は源造の世話で、浅草に落ち着き、おりんは英語塾の教師として働き始めます。

ところがある日、塾に行くと、もぬけの殻でした。

塾長の河合が、生徒たちの月謝などを全て持ち逃げしたのです。

おりんは、河田という屋敷の女中をすることになりましたが、そこの乳母のキクに厳しくしつけられます。

ある日、主人の河田が酔っておりんを抱きしめると驚いて、一目散に源造のところは逃げます。

明治29年の暮れ、源造は、建築用資材を扱う店を彌七と経営する傍ら、下宿屋を建てたのですが、注文主が行方をくらましてしまったことから、おりんの家族に住まないかと申し出、大晦日に引っ越すことになりました。

そこへ、源造の名古屋の両親、小野寺源左衛門といち、すみと言う娘が訪ねてきました。

源造の両親は、源造とすみを結婚させるために上京したのです。

源造は、おりんと結婚すると、両親に宣言すると、二人の結婚は認めないと反対したいちは、興奮のあまり倒れます。

おりんは、いちに心のこもった看病をすることで、いちは少しづつ気持ちを開いて行きます。

源造の両親は、源造とおりんの結婚を認め、名古屋へ帰ります。

明治30年4月吉日、おりんと源造は、晴れて結婚式を挙げ、新婚生活が始まります。

源造は、西洋瓦の製造と販売、おりんは新居を下宿屋とし、3人の下宿人が決まり、おりんはやえと忙しい日々を送ります。

おりんが身ごもると、家族皆喜びますが、祖母が他界してしまいます。

おりんは、下宿屋の仕事の傍ら、源造の西洋瓦の資料の翻訳をしますが、英語が十分でないと感じ、英語塾に通うようになりますが、次第に家の中のことがおろそかになると、やえに叱られます。

明治31年2月、おりんは長男の「弘(ひろむ)」を出産。

明治34年、源造の扱う西洋瓦に欠陥があると商売が窮地に立たされ、高利貸しから多額の借金をし、やがて家が差し押さえになりますが、下宿人たちの温かい協力で、なんとか金の工面ができ、ことなきを得ます。

おりんは、このことがきっかけとなり、自分で職を持ち、家計を助けようと考えます。

ある日、兄の嘉助が現れ、父の弘次郎に新橋のコーヒー屋の主人として働かないかと話を持ってきます。

その一方、嘉助は、料亭の女将になっていたみどりから資金の援助を受け、活動写真の世界に踏み込みます。

ある日、おりんは、みどりが見せてくれた「英語に堪能な記者求む」の求人広告を見て、新聞社へ行きます。

明治36年10月、ロシアとの戦争がはじまるのではと世間で騒がれている中、おりんは明治新報社の新聞記者として働き3年が過ぎていました。

最初は、女性ということでお茶くみなどの下積みの仕事しか与えられませんでしたが、持ち前の行動力で、編集長の津村に認められ、記事を書くようになりました。

おりんは、新しい時代で一歩を踏み出す女性を取り上げた企画で連載をすることになり、これが当たります。

源造は、西洋瓦の事業が失敗し、野球用具などを扱う仕事を始めていました。

長男の弘以外に、2年前には長女の明子も誕生しますが、家事や子育ては、母のやえにまかせっきりになり、おりんと源造の夫婦仲も険しくなります。

ある日、おりんは、日本人を妻にしたアメリカ人の貿易会社の支配人のところへ取材に行くと、その妻は、女学校の同級生のくにでした。

おりんが連載に考えていた人物の一人で、祇園の芸妓でアメリカの大富豪に4万円で落籍された、祇園のお雪と取材を11月に取りつけます。

おりんは冬の京都へ取材へ旅立とうとしますが、お腹には3人目の赤ちゃんがいました。

京都までは汽車で12時間かかることから、源造をはじめ皆反対しますが、おりんは、やっと手にした仕事に、自分の体が大切だからとすっぽかしたら、やっぱり女はダメだと言われ、世の中の女の人の信用も落とすことになると主張。

おりんは京都へ取材に行きますが、お雪とは取材ができず、そればかりか新聞記者をならず者のように言われ、おりんは傷つき、帰京すると流産をしてしまいます。

明治37年2月、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が勃発し、新聞紙面も戦況が占めるようになります。

ある日、戦況に目を光らせていた男性記者と共に酒を飲み、泥酔して家に帰ると、源造に引っぱたかれ、その日を境に、夫婦の心は離れ離れになります。

嘉助がみどりとの結婚と戦争の活動写真を撮るために、弘次郎へ満州行きを打ち明けます。

日露戦争の影響で、おりんと源造もまた冷戦状態でしたが、妻として母としての責任をなんとかしなければとおりんは考え、家族をもとに戻すことが大切だと信じます。

おりんは家事育児に専念し、夫婦仲も戻りますが、おりんの心の機微を感じたやえは、もう一度ハネさせてやりたいと提案すると、すっかり信頼し合えるようになった源造は了承し、おりんは新聞記者に戻ります。

明治38年9月、日露戦争が終わり、しだいに新しい時代を迎え、おりんは中核の記者として女性ならではの記事が好評となりますが、おりんの家事の負担を見て、やえは自分たち老人が二本松に引き揚げることを考えます。

明治45年、二本松に家族が勢ぞろいします。

おりんは36歳で、4人の子持ちの記者です。

源造の仕事も順調で、おりんは幸せだと感じていましたが、そんな酔いを覚ますかのように、東京の新聞社から「天皇病篤し」の知らせが入ります。

温かい家族に見守られながら、まだまだハネていくりん!

はね駒の意味とは?

はね駒とは、はねる子馬をイメージして、”おてんば娘”のことを言います。

「はね駒」は、「はねこんま」と読みます。

主人公の橘りんの生き方や心意気が、明るく躍動的なことからついたそうです。

はね駒 あらすじ(ネタバレ)実話なの?

明治から大正時代にかけて活躍した、女性としては新聞記者の草分け的存在の磯村春子さんの人生をもとに作家の寺内小春さんがオリジナルで書いたものです。

磯村春子さんは、41歳の若さでお亡くなりになられていますが、その41年間で8人の子供をもうけています。

ドラマでは、所々に松浪先生が現れますが、かなり都合の良い展開かも・・・

ちょうど「はね駒」が放送された1986年4月は、男女雇用機会均等法が施行された時でもありました。

バブル期は、同じ年の1986年12月からです。

この頃、共働きで子供を持たない夫婦、DINKs(ディンクス)が、一部でおしゃれなライフスタイルのように言われていましたが、時代によって価値観が変わりますね。

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