京都には、古い神社やお寺がたくさんあります。
そんな中で、魔界と言われる、恐ろし伝説や言い伝えがありますが、今ではご利益スポットとして注目されています。
良い時代ですね^^;
京都の中心部にありながら、意外と知られていない神社仏閣で、どれも魔界スポットでありながら、ご利益抜群だそうです。
「所さんのニッポンの出番!」(2016/07/19放送)より、まとめました。
引接寺と養源院の血天井の画像徳川家伝わる呪い?京都魔界スポット
御霊神社 京都
御霊神社は、かつて京都御所の次に重要なところと言われていました。
祭られているのは、桓武天皇の弟様の早良親王で、無実の罪を着せられて亡くなりました。
794年の平安京より少し前の長岡京に都があったころ、早良親王が、無実の罪で亡くなった直後から、長岡京は大災害や疫病の流行で荒れ果てました。
桓武天皇は、弟の怒りを恐れ、都を現在の京都市に移すのですが、平安京に移る前、早良天皇の魂を鎮めるために建てたのが、この御料神社です。
御料信仰と言って、恨みをなど、非業の死を遂げた人物を祀ることで、負のパワーを鎮めることで、ご利益に変えられるという考えがありました。
御霊神社 京都ご利益
・ストレスが多くてイライラしがちな人にストレス緩和
・大舞台で常に平常心でいられるよう緊張をほぐす
天台圓淨宗 大本山 廬山寺
元三大師は、平安時代、比叡山延暦寺を立て直した実在の僧侶です。
平安京で一番怖いのが、疫病がいろんな形で入ってくるのですが、元三大師が鬼の姿に変わり、疫病を振りまく神々を追い出そうとしました。
元三大師が鬼の姿に変化した像は、見る人の心を見透かすと言われています。
その顔が、笑顔に見えるかどうかで、心の状態がわかるそうです。
笑っていると思った人は、心が穏やかですが、厳しい顔に見える人は、悩みがあるかもしれません。
元三大師が、考案したのが「おみくじ」です。
もともと僧侶が、1~2時間かけて答えていました。
菅原院天満宮
学問の神様と言われる菅原道真ですが、菅原神社は色々あるのですけど、菅原院天満宮は、菅原道真の生誕地です。
菅原家の邸宅には、父の是善、祖父の清公と、学業に秀でた菅原家三代が祀られる。
学業の神としてさらなるご利益があると、密かに注目されているご利益スポットです。
菅原道真もまた、政権争いで、不遇の死を遂げ、怨霊として恐れられました。
怒りや憎しみがパワーとなっています。
菅原道真公の真筆の写経があります。
道真は当時、三本の指に入ると言われる書家と言われ、美しい文字を書いていたらしいのですが、直筆は残っていないと言われています。
ところが、御神宝なので、今まで見せたことはないそうです。

貴船神社
中心部から離れていますが、貴船神社は、水の神様を祀っていて500社以上ある貴船神社の総本社です。
鴨川の源流で、このあたりに降った雨水が京都の地下水の源になります。
http://kifunejinja.jp/
ジェフバーグランドプロフィール:番外編
ジェフバーグランドさんは、40年以上京都に住んでいます。
旅館を改築した壺庭のある町屋には、16年住んでいます。
アメリカ合衆国サウスダコタ州出身
1966年にミネソタ州カールトン・カレッジ宗教学を専攻
1969年に同志社大学に留学
1970年カールトン大学卒業を経て9月から同志社高等学校に就職
2008年京都外国語大学外国語学部教授
http://www.jeff-kyoto.com/
白峯神宮は崇徳天皇の呪い封じで祀られた
白峯神宮は、御料信仰の中で、最も恐れられた人物が祀られています。
入口には、「下馬下乗」と言って、”皇族でも、馬や輿を降りなさい”という意味です。
皇族が最も怖がった人とは、第75代崇徳天皇で、平安時代末期を生きた天皇です。
1156年、政権争いに敗れ、四国に流されました。
死者の冥福を祈り、自らの血で写経し、朝廷に納めようとしたのですが、朝廷から破られた写経が突き返されました。
これに起こった崇徳天皇は、舌を噛み切って「日本国の大魔縁になる」と言い残し亡くなったと言われています。
そう言った途端に、平家・源氏が出てきて、ずっと徳川まで天皇家に政権が帰ってこなかった。
ところが明治維新のとき、大政奉還が起こり、政権が帰ってきた。
一番、明治天皇が心配したのが、崇徳天皇の呪い。
700年前の呪いを恐れていました。
近代国家になろうとしている時に、一番恐れたのが、崇徳天皇。
そして明治天皇は、崇徳天皇の呪いを鎮めようと1868年に創設されたのが、白峰神宮です。
900年にわたり、恐れられてきた崇徳天皇が、怨霊になる前の姿は、あまり知られていません。
現在では、毬の神様がいるということで、Jリーグ発足のとき、注目を浴びるようになり、必勝祈願としてサッカーをはじめ、様々な球技の神社として全国的に有名です。
毬庭の中は、身分の差がなくなるので、天皇の子・中大兄皇子と下級武士だった藤原鎌足が、一緒に蹴鞠ができる。
http://shiraminejingu.or.jp/
晴明神社 陰陽師安倍晴明
晴明神社は、平安時代の人々の災いから守った、陰陽師安倍晴明を祀った神社。
安倍晴明は、今で言う超エリートで、陰陽寮という官庁に、使えていた国家公務員の占い師です。
活躍していたのは、40歳くらいから85歳と中年以降でした。
陰陽道を用いて貴族たちの吉凶を占っていました。
例えば、出かけるとき、晴明に相談して、その方角に災いがあると言われれば、行先を変えたり、わざわざ遠回りをしていました。
占いって、方位のことなんですね。
実は、この晴明神社に、晴明自身が住んでいたのですが、これは京都御所から見て、鬼門の方角にあたります。
住むことで、平安京を守っていました。
また疫病に苦しむ人々を救うため、最新の占星術や中国の占術、呪術などを駆使したと考えられます。
ヒーローとして扱われているのは、疫病と戦った姿からかもしれません。
晴明神社の四神門式神と呼ばれる精霊
四神門は、自動ドアのように当時見えたそうです。
式神と呼ばれる精霊は、見えませんが、いろんな雑事をさせていました。
その一つが、門の開け閉めです。
みんなの目には、勝手に門が開閉しているように見えました。(現在は、リモコンで動きます)
千利休が、この近くに住んでいたので、パワーを感じていたかも。
その際に使ったのが、晴明が占いのために掘った井戸の水です。
晴明神社の厄除け桃
陰陽道で厄除けの意味を持つ果物として、桃があります。
桃は、日本書紀や、古事記などでも出てくる果物で、厄やまがまがしいものを吸い取ってくれます。
晴明神社の晴明の肖像画
自宅の庭で、星の動きを観察し、吉凶を占う姿が描かれていますが、足元に式神が描かれています。
式神は、鬼神と言って、超人的な能力を持つ鬼です。
鬼の力で、邪悪な鬼を退治します。
古代から、朝廷に仕える役人で、天文学を駆使し、占いから悪霊封じまでこなしていたと伝えられます。
境内のいたるところに見られる五芒星のマークは、陰陽道の魔除けの象徴です。
形が桔梗に似ていることから晴明桔梗と言われ、今でも桔梗の花が植えられています。
晴明神社の近くにある、一条戻橋という橋がありますが、晴明は、その橋の下に式神と言って、悪霊と戦う際に呼び出す精霊のような存在を、住まわせたそうです。
もともと自宅に式神を住まわせていたのですが、晴明の奥さんが嫌がったんです。
「私をここに住まわせるか、式神をどこかに行かせるか」

六道珍皇寺
小野篁(たかむら)は、昼間は天皇に仕え、夜は閻魔大王に仕え、地獄の裁判を手伝っていたと言われます。
小野篁は、身長約190cmで、威圧感と反骨精神で人々に恐れられていました。
小野篁の像は、年2回特別参拝期間のみ、扉を開けて公開されます。
このお寺には、小野篁がこの世と、冥界を行き来した入口、それは井戸です。
小野篁は、遣隋使で有名な小野妹子の子孫で、平安時代、朝廷に仕えた役人です。
http://www.rokudou.jp/
まとめ
菅原道真の直筆って、美輪明宏さんの神がかったような文字なのかと思ってどれほど美麗な文字なのか期待してしまったのですけど、思っていたほどではなかったです^^;
歴代「徳」の字のつく天皇は、不幸になっていると言われていて、崇徳天皇の呪いは有名です。
ずっと恐れられているなんて。
平成以降どうなってしまうのでしょう???
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