吉行エイスケ(あぐりの夫望月エイスケのモデル)死因や画像?野村萬斎

あぐり 最終回あらすじ156話ネタバレ 朝ドラ / 光美堂の副社長を辞任! 感想キャスト再放送 あぐり

スポンサドーリンク


NHKの朝ドラ「あぐり」の主人公である望月あぐりの夫・望月エイスケさんを野村萬斎さんが演じ話題になりました。

単純にドラマで、野村萬斎さんが演じたことで人気になったのかと思ったのですが、エイスケさんのモデルとなった吉行エイスケさん自身、とても魅力あふれる人だったようです。

吉行エイスケさんについてまとめました。

スポンサドーリンク

吉行エイスケの死因は?

吉行エイスケさんは、1940年(昭和15年)7月8日、狭心症により34歳でお亡くなりになられています。

エイスケさんは、ドイツから輸入されていた新薬ズルフォン剤を常用していて、その濫用によるものとみている人もいます。
参照元:

吉行エイスケ作品集

次女の理恵さんの1歳のお誕生日の翌日だったそうです。

あぐりさんと出かけ、帰りに「ちょっとおかしい」と言っていたのですが、あぐりさんは、それほど気に留めていませんでした。

ところが晩になり、エイスケさんが苦しみだしたので、近所のお医者様に来ていただきましたが、間に合わなかったそうです。

吉行エイスケの画像は?

吉行エイスケのプロフィール

本名:吉行栄助

生年月日:1906年(明治39年)5月10日

岡山県御津郡金川町に土木請負業(吉行組)を営む吉行澤太郎、盛代の長男として誕生します。

1922年(大正11年) 第一岡山中学校(現在の県立岡山朝日高校)を16歳で中退。

エイスケさんの10個上の先輩に

叛骨の宰相 岸信介

エイスケさんの6つ下の後輩にメンズファッションの神様と言われた石津謙介さんがいます。

それと「火垂るの墓」高畑勲監督!

火垂るの墓 [DVD]


東京の目白中学に在籍します。

12月「ダダイズム」に詩を発表。

1923年11月15日、17歳で吉行あぐりと結婚し岡山市桶屋町に転居

1924年(大正13年)、18歳「売恥醜文」創刊号を出します。長男の吉行淳之介誕生。
1926年 東京に転居。「虚無思想」創刊号を出します。

エイスケさんは新宿上落合でバー「あざみ」を経営します。

ちょうどこのころから、いわゆる「モボ・モガ」という言葉が出てきたようです。

1929年(昭和4年)23歳 「葡萄園」同人となる。この頃上海に数度渡っています。
あぐり「山の手美容院」を開店。

1930年 「近代生活」同人となる。この頃、日本大学芸術科で講師を務めます。
1931年(昭和6年)銀座の百貨店「伊東屋」内にあぐりさんの初の支店がオープン
新宿淀橋のムーラン・ルージュ新宿座にエイスケさんは文芸顧問として迎えられます。

ムーランルージュの青春 [DVD]

1932年(昭和7年)「新潮」10月号「純文学の危機について」での座談会では、川端康成、井伏鱒二、小林秀雄などの参加者にエイスケさんも加わっています。

1934年 文筆活動を辞め、株式を生業とします。
1935年、29歳、長女吉行和子誕生。
1939年 次女吉行理恵誕生。

新興芸術派の旗手として数多くの著作を発表しています。

まとめ

ここのところ「おしん」や「澪つくし」の世界ばかりだったので、戦前の日本の印象がすっかり「おしん」「澪つくし」の色に染まってしまったのですが、エイスケさんの作品を読んで、ちょうどエイスケさんが上海に行き来していたころを舞台にした映画「上海バンスキン」を思い出しました。

あの頃映画 「上海バンスキング」 [DVD]


エイスケさんは、あぐりさんに行き先も告げず、上海などにプラッと行ってしまっていたそうなのです!(こちらを読んだら、住んでいたとか・・・)

「あぐり美容室」とともに 元気の秘訣は、一生懸命と好奇心 (PHP文庫)

当時、上海へはパスポートがなくても外国人が身元を調べられなくても行かれたのだそうです!

当然ではありませんが、本国にはいられないようなワケありの人も少なくなかったらしい。

そんなこともあり、戦前の上海は、日本の庶民がよく行っていたそうなのです。

長崎から上海行の定期便が週2回あり、一昼夜で着きました。

エイスケさんの作品を読むと、上海だけではなさそう??

今のように情報があれば、世界観を楽しめたかもしれないけれど、少なくとも「澪つくし」のピロシキには、何のことだかわからないだろうな。

吉行エイスケ作品集: 全12作品を収録 (青猫出版)

新興芸術家と言う意味も、なるほどです。

吉行エイスケとその時代?モダン都市の光と影


魔都と言われた上海に、エイスケさんはハマったのかもしれませんが、あぐりさんには、そんな話はしていなかったようです。

あぐりさんとエイスケさんは、昔の親の価値観で勝手に決めた結婚だったかもしれないが、2つとない人生を歩めたのではと思う。

魔都上海 日本知識人の「近代」体験 (ちくま学芸文庫)

スポンサドーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました