こんにちは。きゃんでぃです。
京都の魔界スポットって、色々あるんですね。
なんでもイギリスに幽霊が多いのは、輪廻転生と言う考えがないから、成仏していない霊が多いとか。
京都って、どうなんでしょう?
「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺/クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」(2016/09/05放送)より、まとめました。
引接寺いんじょうじ京都魔界スポット
引接寺は、あの世の入り口に建てられたお寺と言われています。
平安時代、京都の朱雀大路の北の端にありました。
そこは、死者を風葬していた場所です。
当時は、疫病や飢饉で、多くの人が亡くなった時代です。
死者を野ざらしで、風葬され、あたりを埋め尽くすほどでした。
その死者を供養するために、建てられたお寺です。
引接寺いんじょうじ京都魔界スポット石地蔵
平安時代、死者と一緒に埋まっていた無数の石地蔵が本堂の裏にあります。
都市開発で、次々に石地蔵が発掘されたのです。
これが、魔界パワーを感じる場所です。
引接は、引導を渡す意味ですが、死者をここへ運び、あの世へ送った場所です。
舟形地蔵と言って、あの世へ行っても船に乗れるようにと言う形です。
願い事は、境目で祈るのが良いとされて、丑三つ時は、昨日と今日の境、年越しは、去年と今年の境で、吉となるか凶となるかの合間で、願いごとをすると運が開ける。
より良く生きるために、あの世が見える入口が必要です。
戦国時代、織田信長が、上杉謙信に送った、洛中洛外図に引接寺が描かれているんです。
引接寺いんじょうじ京都魔界スポット閻魔像
見る人によって顔が変わる約1000年の歴史をもつ閻魔像があるんです。
1563年日本を訪れた外国人宣教師のルイス・フロイスは、その閻魔法王を見て「身の毛もよだつ思いがした」
平安時代、都の外に風葬する死者たちを冥土に送るため作られました。
その閻魔像は、見る人にやましい思いがあると、非常に厳しく怖い顔に見えます。
やましい思いがなかったら、厳しい顔には見えません。
大きな瞳には、琥珀が埋められているそうです。
通りで、目がきらめいていると思ったら、琥珀を使っているって、目ヂカラを感じます。
新村出(しんむらいずる)と言う広辞苑を出した博士が、この閻魔さまをお前入りして、
どこやらに
慈相のありて
閻魔かな
と言う詩を残しています。
閻魔様と言うと、「ウソをついたら舌を抜かれる」と地獄の裁判が有名ですが、罪人が閻魔さまの前で、「もうウソをつきません」と誓うとき、閻魔裁判で叫ぶ言葉は?
「金輪際」
金輪際の金輪は、地の奥底に広がる世界で、金輪際は、最も深い場所を指すところ。
「金輪際ウソをつきません」は、地の底と同じくらい深い決意を表した言葉で、寺の法話などで使われるようになりました。
また、引接寺では、先祖の供養をする塔婆供養もしています。
養源院の血天井の画像徳川家伝わる呪い?京都魔界スポット
三十三間堂の前にある、養源院に、徳川家に伝わる呪いなのか?400年消えずに残る血天井があります。
徳川秀忠の妻、江(ごう)が再建したお寺の養源院です。
ここにある血天井は、1600年の伏見城の戦いで、徳川軍が最後伏見城を守っていたのですが、石田三成の軍が、そこへ攻め入って徳川方の兵約400人が自害しました。
その血で染まった伏見城の床板を天井板として使っているのです。
伏見城の戦いから3年後、徳川家康は天下統一を果たします。
犠牲となった家臣を供養するための血天井は、一見恐ろしいように思えますが、その分お祈りをすることで、強いパワーをもらえるのでは?
養源院の廊下の部分の天上が、全て血天井になっています。
廃材利用とか、再利用という事ではなく、気持がこもったものを逆に力として、お守りいただく。
亡くなって終わりではなく、亡くなったその想いや、ときには怨念が力となって私たちのこの世を支えてもらう、御霊信仰として天井はうかがえます。
このような考えは、墓石を利用してお城の石垣にするなどがあるんです。
400年以上経って、だいぶドス黒くなっています。
江は、織田信長の姪として生まれ、豊臣秀吉との政略結婚に翻弄されながらも、最後に徳川秀忠の正室になると言う数奇な運命をたどった人物です。
位牌には、皇室、徳川、豊臣の家紋が3つ彫刻されています。
佛教には、怨親平等(おんしんびょうどう)と言って、敵と味方も死ねば平等に供養する。
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