こんにちは。きゃんでぃです。
スーパーに入ったら、まさかな物が目に入りました!
「松山容子さんのボンカレー!」
このパッケージの強烈さと言ったら、これ以上ないんじゃないかと思うくらいインパクト大で、思わず買ってしまいました。
値段は198円。
久しぶりに食べるボンカレーは、母の作ってくれたカレーに良く似た、昭和なカレーです。
うちの親は、カレーにウースターソースをかけて食べるのですが、なぜか貧乏臭く思えて、私は、必死に抵抗していました^^;
そんなボンカレーも懐かしくもあり、驚いたのですけど、元横綱の輪島大士の息子さんが甲子園で活躍???
えっ????
ちょっと気になったので、まとめました。
輪島大士の現在の嫁は再婚?
生年月日:1948年(昭和23年)1月11日
出身地:石川県七尾市
花籠部屋所属の元大相撲力士
日大卒業前の1970年、花籠部屋(師匠は元幕内・大ノ海)に入門し、1970年1月場所に幕下付出(60枚目格)で初土俵を踏みます。
管理人は子供だったのですけど、今思えば、輪島さんは、体格が良くて存在感があり、オーラのある力士でしたが、それを裏付けるかのように、ちゃんこ番等の雑務を免除され寝食を大学の宿舎で過ごさせるという異例の特別待遇で入門したのだそうです。
幕下を2場所連続で全勝優勝し、当時の最短記録で十両入り、十両も4場所で通過して初土俵からわずか1年で新入幕を果たしました。
三役昇進前からプライベートは派手で、場所入りの際には当時のお金で800万円のリンカーン・コンチネンタルを乗り回していたそう。
それ以外にも、相撲部屋の共同生活を嫌い、高級マンションで生活。
また、その頃は懸賞金は全額渡していたのですが、税金込みだったのですが、輪島は税金のことなど考えずに使ってしまっていたため800万円の税金が払えなくなり、協会が立て替えたこともあります。
そのため、それ以降、懸賞金は税金を引いた額を渡すようになったとか。
ただ、金遣いの荒さは現役を引退後にも続きます。
1972年9月場所では、大関昇進を機に、番付の四股名を「輪島博」から「輪島大士」に改名。
1973年5月場所を全勝優勝で飾り場所後に横綱に推挙され、初土俵からわずか3年半という超スピード出世で横綱へ上りつめ、史上初の学士・本名横綱が誕生しました。
1981年3月場所中に引退し、停年(定年)退職間近であった師匠とバトンタッチする形で花籠部屋(※平成時代の花籠部屋とは別)を継承します。
年寄名も先代の名をそのまま継承し、「花籠 昶光」(はなかご ひさみつ)を名乗ります(のちに花籠大嗣(ひろし)と改名)。
1982年4月妻(師匠・大ノ海の長女である輪島五月(旧姓・中島「輪島五月」名義で著書あり))が自殺未遂(その後離婚)
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1985年11月に角界では前代未聞の、年寄名跡「花籠」を実妹の経営する料亭の借金の担保にしていたことが発覚し、日本相撲協会は理事会を開き、委員から平年寄への2段階降格処分と無期限謹慎処分にしました。
輪島が当時抱えていた他の金銭問題や、現役時代からの私生活での豪遊ぶりなども影響したのではと見られています。
結局これが原因で、1985年12月に廃業。
所属の力士たちは花籠部屋出身の魁傑が開いた放駒部屋へ移籍します。
1986年全日本プロレス入団
1988年プロレス引退
プロレス引退後は、大相撲解説などの他タレントとして活躍。
日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(1991年10月16日から2001年3月14日)に準レギュラーで出演し、この番組で、輪島お見合い企画を開催し、現在の夫人と再婚します。
2013年秋に下咽頭癌への罹患が判明、12月に癌の切除手術を受けて成功しますが、その影響で声を失ってしまいます。
輪島大士の息子の大地の身長と画像!天理の野球で活躍!
引用元:http://www.hochi.co.jp/
父輪島大士さん(69)が、51歳の時、息子の大地君を授かります。
東京都出身
中学まで、東京で父と暮らします。
甲子園を目指すために親元を離れて元プロの中村良二監督(49)の元で甲子園を目指してきました。
天理高校野球部所属の3年生
身長187cm
体重87kg
父は「黄金の左」が代名詞でしたが、大地君は右投げ。
大地君にとって、父は「怖い」存在で、投げ飛ばされることもあったそう。
昔のお父さんですね^^;
輪島さん死去
2018年10月9日、突然の輪島さんの訃報を知り驚きました。
8日午後8時、下咽頭がんと肺がんにより衰弱して、都内の自宅でお亡くなりになられたとの事。
波乱な人生で、子供のころ、テレビで良く目にしていたので、若かったころの華やかさを思うと、気の毒なように思えてしまいます。
享年70。
引用元:https://www.daily.co.jp/general/
左から息子さん、留美夫人とお嬢さん
黄色いバルーンを手にして、みなさんに愛されたのが良くわかるお写真です。
安らかにお眠りください。
先代、貴ノ花との資生堂のCMは、お相撲さんに華があった時代だったと思います。
追悼。
資生堂 アウスレーゼ ヘアブロウCM。(1981)輪島、貴ノ花 pic.twitter.com/FCOCvdQHXM
— みどりん (@icu_0828) 2018年10月9日
今では考えられないキレイでカッコよかった貴ノ花 vs 輪島の試合。
伝説の名勝負
1972(昭和47)年九月場所 千秋楽
貴ノ花 vs 輪島4分間の激闘、それをご覧になって
おられる若き日の天皇皇后両陛下
と皇太子殿下 素晴らしい映像です#輪島大士 #輪島 #貴ノ花 #大相撲 pic.twitter.com/u6AWFnPNfr— pezvolante77 (@pezvolante77) 2018年10月9日
まとめ
現役時代の輪島さんは、とにかく存在感が大きかったので、借金問題などで、力士・相撲部屋廃業に追い込まれ、その後、プロレスラーに転身とは、本当に驚きましたが、落ちぶれてしまったように思えて、とてもプロレスの試合を見られませんでした。
輪島さんは波乱な人生になってしまいましたけど、それでも50歳過ぎて、お子さんが出来、今は甲子園で活躍だなんて、人生わかりませんね。
コメント
神宮司龍峰です。
現役時代の輪島さん
大好きでした。
いつまでも元気でいて下さい。
神宮司龍峰様
コメントをいただきまして、どうもありがとうございます。
私も、現役時代の輪島さん、ハンサムで好きでした。
色々ありましたけれど、息子さんがいらっしゃって、活躍されているようなので、良かったなと心から思います。
[…] 引用:http://candy17.club/9029.html […]
> さらに妻の中島トミが1986年5月23日の夕刻に首を吊り自殺。
輪島さんの前夫人は、11代花籠親方(元大ノ海)の娘さんで、
中島五月さんといいます。輪島はこの方と結婚して、引退後12代花籠親方に
なりました。中島トミさんというのは、11代花籠の奥さんです。
11代夫人は、借金の担保に取られた名跡証書の買い戻しをしてたのです。
しかしそれが間に合わず、花籠部屋は潰れてしまったのです。11代夫人は、
「代々の親方に申し訳ない」と死を選ばれてしまいました。
輪島本人にはどうにもならない悲劇でしたが、あってはならないことでした。
そのため輪島は角界から距離を置いて暮らしていたのです。
しかし、プロレス引退後に輪島は北の湖と偶然にサウナで再会しました。
以来、北の湖は輪島に番付表を送り続け、自身が理事長であるうちに輪島を
国技館に招くと言って、尽力を続けたのです。そして’09年1月場所、
一日だけでしたがデーモン閣下とともにNHK大相撲中継のゲスト解説者として
輪島が国技館に戻ってくることがかなったのです。
この方が最後に公の場に姿を現したのは、’16年2月の豊響の結婚式のでは
無いかと思います。’15年11月場所中に北の湖が亡くなったこともあって、
筆談でのマスコミのインタビューに応じていました。
北の湖は生きていれば今年5月で停年でした。
輪島も人生の千秋楽を終え、天国で再会をしているのでしょうね…
もよ様
貴重なコメントを寄せていただきまして、大変感謝するとともに、不勉強でご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
神宮司龍峰です。
現役時代の輪島さんは素敵でした。
神宮司龍峰様
コメントをいただきまして、どうもありがとうございます。
ほんと、現役時代の輪島さんは素敵でした。
輪島さんくらいの力士が、今いなくて残念です。
[…] 引用 ぱくとごろり […]