こんにちは。きゃんでぃです。
アニメの「一休さん」は、子供ながらにトンチで悩みを解決してしまう話が面白くて、良く見ていました。
その一休さんに出てくる、「にながわしんえもんさん」も、実在していた人で、なんとその子孫が、演出家の蜷川幸雄さんなんだそうです。
(”にながわ”って、ずっと「新川」だと勝手に思っていたのですが、「蜷川」だった事を、「やりすぎ都市伝説」で知りました^^;)
ところが、蜷川新右衛門さんの子孫は、蜷川幸雄さん以外に格闘家の武蔵さんがいるそうなんです。
つまり、蜷川幸雄さんと武蔵さんは、親戚なんでしょうか?
ちょっと気になったので、調べてみました。
一休さん
一休さん pic.twitter.com/geAYrZozSu
— 上馬キリスト教会 (@kamiumach) 2017年9月21日
日本を救った京の都の守り神、一休さんは、室町時代、日本の民家で千菊丸として生まれました。(1394年~1481年)
一休さんと言うのは、第100代天皇後小松天皇の落胤とも言われています。
後小松天皇は、混沌の南北朝が統一後に即位したのですが、息子である一休さんを認知しませんでした。
そこで、一休さんの母は、皇位継承問題に巻き込まれないように、地蔵院へ送ったと言われています。
その後、6歳までを衣笠山地蔵院で過ごします。(1367年管領細川頼之公が建立)
6歳から、安国寺へ僧侶としての道を歩む事になります。
アニメ「一休さん」には、蜷川新右衛門さんが重要人物として描かれていますけれど、新右衛門さんは、将軍足利義満の命令で、一休さんを監視すると言う役柄です。
蜷川新右衛門さんは、いつしか一休さんのとんちのとりこになり、逆に弟子になってしまう話があります。
その新右衛門さんの末裔が演出家の蜷川幸雄さん。
新右衛門さんの子孫は蜷川幸雄!武蔵と関係?
富山市に蜷川という土地があり、800年ほどに前に建立された最勝寺が蜷川家の菩提寺なんだそうです。
源頼朝に仕えた蜷川親直という人物がおりましたが、寺に残された蜷川家の家系図によると、8代目の親當が一休さんの蜷川新右衛門のモデルになったと言われています。
wikiの「蜷川」には、子孫として「武蔵さん」が紹介されているのですけど、「蜷川幸雄さん」については、掲載されていません。
武蔵さんの祖先は、関ヶ原の戦いの時、長宗我部氏に仕えていましたが、西軍が敗れ、徳川家康率いる東軍に城を明け渡すことになります。
その後勃発した農民による反乱を鎮めたのが、13代の蜷川親長で、その功績が認められ、徳川家旗本に抜擢されました。
武蔵さんの本名は森昭生さんで、大阪府堺市南区の出身なので、蜷川は母方の姓なのかもしれません。
蜷川幸雄さん自身は、埼玉県川口市の出身ですが、両親は富山県出身です。
大本をたどると、新右衛門さんにつながるのかもしれませんが、武蔵さんとは、近しい家系ではないのかなと思います。
ちなみに中国の孔子の子孫は、200万人いると言われているので、新右衛門さんの子孫も、多くいるのでしょうね。
まとめ
子供だったので、一休さんを見ていた当時は、足利義満の事は、バカ殿的に思っていたと思います^^;
今はわかりませんが、一休さんもそうですけれど「みなしごハッチ」や「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」など、昔のアニメに出てくるお母さんって、美人が多かったと思います。
パッと思い浮かべて、そうでなかったのは、「母を訪ねて3000里」のマルコのお母さんくらいかな?
もう一度、ちゃんと見てみたいなと改めて思いました。
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